木造千手(せんじゅ)観音菩薩立像(口絵参照)

1067 ~ 1068

重文 九世紀後半 松代町西条 清水寺蔵 桂(かつら)材 一木造(いちぼくづくり) 彫眼 漆箔(しっぱく) 元禄・享保年間修理銘 像高一七八・八センチメートル

 一木造で内刳(うちぐ)りをほどこさない、この四十二臂(ひ)の千手観音立像は清水寺の主尊として祀(まつ)られている。やや小振りの頭部、均整のとれた肩幅と胴部のくびれ、そして腰から脚部にかけて刻まれた古典的な肉づけと衣文のひだ、爪先を開き、全体にやや反り気味に直立する姿態など、その体幹部のととのった構成は、平安時代初頭の古像を範として造立(ぞうりゅう)されたように思われる。しかし肉身部のおだやかな量感、浅く線的にととのえられた裳(も)の折り返しや、衣文のひだは、九世紀後半とみるのが妥当であろう。とくに天冠台や地髪、やや平面的に弧を描くまゆや目もと、鼻から口もとにかけ、わずかに彫り直しの痕跡が確認されるその造形は、藤原時代初期の特色を示している。このように内刳りをほどこさない一木造という平安時代中期の本像は、県下では最古の木彫像の作例として貴重である。また本寺には、同時代の造立と考えられる一木造の観音菩薩(かんのんぼさつ)(重文)、地蔵菩薩(重文)、薬師如来(県宝)、毘沙門天(びしゃもんてん)像(市文)などが安置されている。

 なお、裳や天衣の漆箔地に散らされた方形の金箔は後補であるが、江戸時代には、ままみられる手法である。像背の裳裾(もすそ)部に、元禄十一年(一六九八)八月二十四日の歳時と結縁交名(けちえんきょうみょう)、願主の僧名をしるした朱書、また小木札に享保八年(一七二三)、「ぬしや九十郎、仏師吉次郎」などの修理銘がしるされている。この元禄・享保の江戸時代の修理時では、天衣、台座、事物などがおぎなわれたものと推定される。