重文 千手観音 一〇世紀後半、地蔵菩薩 一二世紀前半 若穂保科 清水寺蔵
・千手観音像 桜材、欅(けやき)材 一木造 彫眼 彩色 像高一三八・五センチメートル
・地蔵菩薩像 檜(ひのき)材 寄木造(よせぎづくり)(内刳り) 彫眼 彩色 像高一五九・一センチメートル
大正五年(一九一六)五月、清水寺は保科村の大火のさいに類焼し、その堂塔のすべてを失ってしまった。翌年、千手観音および脇侍の地蔵菩薩像をはじめとし、三十数体の古像を奈良県桜井市忍阪(おしさか)の石位寺から迎えた。
本像は清水寺の奥院(観音堂)に安置され、現在、主尊として祀られている。像は四十二臂(ひ)の通例の千手観音坐像で、頭体幹部を桜材で、後頭部および背面にわずかの内刳りをほどこしている。脚部は横一材で欅材である。真手(しんしゅう)は桜材を用い、肩、臂(ひじ)、手首などで矧ぐが、異なる材質による寄木の手法は例が少ない。また厚みのある膝部(しつぶ)に彫出された翻波式衣文、わずかに微笑する神秘的な面貌などの作風から、九世紀にさかのぼる古様さが認められる。しかし、衣文や面貌の浅い作風からみると、本像の造立は、一〇世紀末ごろかと考えられる。現状では尊像の表面は彩色仕上げとしているが、そのほとんどが剥落し、また頭上面、台座は後補、脇手は手先など欠失しているものが認められる。昭和九年(一九三四)の修理のさいに発見された白銅製鏡三面、木製櫛(くし)二枚、宝永三年(一七〇六)の修理銘札が、現在、背刳(せぐ)りのなかに納められている。
地蔵菩薩は檜材を用いた寄木造で、頭体幹部を前後二材で矧ぎ寄せ、両袖・両腕および両手首を矧ぎつけ、彩色はほとんど剥落し素地をあらわにしている。伏し目がちな目、小作りの鼻と唇を刻む顔立ちは穏やかで、また奥行きの少ない体部に刻まれた衣文は浅く流れるなど、平安時代の末、一二世紀前半の作風を顕著に示す美作といえよう。