木造広目天(こうもくてん)立像・多聞天(たもんてん)立像

1073 ~ 1074

重文 一二世紀前半 若穂保科 清水寺蔵

・広目天 檜材 割矧造 彫眼 漆箔、彩色 像高一五〇・〇センチメートル

・多聞天(毘沙門天(びしゃもんてん)) 桜材(?) 割矧造 彫眼 漆箔、彩色 像高一五三・〇センチメートル

 この二天像は、四天王に属する仏法守護神で、広目天(こうもくてん)は西方、毘沙門天(びしゃもんてん)は北方を護(まも)る神とされている。なお多聞天は、単独で祀られる場合は毘沙門天と呼称される。

 両像ともに、頭頂に髻(もとどり)を結い、怒りをあらわにする忿怒相(ふんぬそう)で唐様(からよう)の甲(よろい)を着している。広目天は左手を屈臂(くっぴ)し、掌を上に事物を執る姿態を示し、右手は振り上げて戟(げき)を執る。多聞天は両耳に焔髪(えんぱつ)をつけ、左手指を伸ばして腰に当て、右手は肩先に振り上げ掌を上に事物を執る姿態を示す。両像は檜材と桜材(?)を用い、頭部はそれぞれ割矧造とし、わずかに内刳りをほどこす。またそれぞれに寄木の手法が用いられている。しかし、肩先や両腕手指の一部、光背、台座などに後補が認められる。また両像とも表面は、銹漆下地に漆箔(しっぱく)をほどこしているが、かなり剥落がすすみ素地をあらわしている。

 なお二像ともに、小振りの目鼻立ちに刻まれる忿怒の表情はおさえられ、体部の動勢が控えめでほぼ直立した姿態に近い。このような像容からみて、本天部像は平安時代後期の典型を示している。


写真23 木造広目天立像(左)・多聞天立像(右)