重文 一〇世紀後半 信更町山平林 観音寺蔵
欅(けやき)材 一木造 玉眼 漆箔 像高一五三・九センチメートル
等身大よりわずか小振りの十一面観音像で、欅の一木造で内刳りをほどこさない。両腕、左手臂(ひじ)先、右手先、両足先、天衣遊離部など、部分的に補作がなされている。とくに天冠台の地髪部の奥行きかきわめて少ないこと、髻の基部が部分的に削られていることなどから、当初は頭上面のない菩薩像であった可能性が高い。またのちに玉眼を嵌入(かんにゅう)している。寺伝によると本寺は布施氏の創建で、長禄(ちょうろく)元年(一四五九)大安寺第四世林岳が観音堂を修復されたとある。頭上面の付植、玉眼の嵌入は、おそらくこのころとみてよいであろう。光背や台座も後補であるが、本寺は延享(えんきょう)五年(一七四八)に、大林寺(松代町)の末寺となったと伝えられているところから、後補はこのころとみてよいであろう。
本像は、補修や後補がかなり認められるが、裳部正面に刻まれた二重の天衣、条帛や裳のひだに刻まれた渦文(かもん)の表現、裳裾の衣文にみられる翻波文様などは、古様をこんにちに伝えている。