木造聖観音菩薩立像

1076 ~ 1077

重文 一二世紀前半 七二会瀬脇 観世音菩薩保存会蔵

檜材 寄木造 彫眼 肉身部漆箔、衣部古色塗 像高一六二・一センチメートル

 明治三十年(一八九七)二月の火災で、本尊と堂宇は焼失したため、仏堂を再建、清光山中恩寺と寺名をあらため、本像は大正三年(一九一四)、奈良渋谷(天理市)から河内(かわち)(大阪府)の豊川寺をへてこの地へ移安されたものと伝えられる。

 本像の量感のみなぎった造形は、平安後期における南都系造像の典型を示している。製作年代は、その造像様式からみて一二世紀前半と推定される。造像方法は、頭体幹部を正中線および両側面の四材を矧(は)ぎ寄せ、頭部を割矧ぎし、また両肩、両臂、両手首、両足先などを矧ぐ。一文字に刻まれた髪際下の面貌は、穏やかでふくよかな表情を示している。また流れるように浅くととのえられた衣文(えもん)は、このころの様式をよく示している。

 再興された忠恩寺はその後廃寺となったが、のちに地域の住民有志により瀬脇観世音保存会が設立され、聖観音は護られてこんにちにいたっている。

 なお、注目されるものとして、切勝寺(川中島)に祀られる木造聖観音立像(市文)があげられる。像高は小振りではあるが、全体に量感がみなぎり、浅くととのった衣文は、一二世紀後半の造像様式の特徴を示している。また地蔵院(若槻田子)に祀られる木造聖観音立像(市文)も注目される。風蝕(ふうしょく)がはげしく朽ちがすすんでいるが、量感があり均整のとれた像容は、一二世紀前半の造像様式を示している。


写真25 木造聖観音菩薩立像