木造伝子安荒神(こやすこうじん)坐像

1077 ~ 1078

重文 一六世紀(天文十二年、一五四三) 篠ノ井山布施村山 荒神堂蔵(蓮光寺所有)

檜材 寄木造 彫眼 彩色 像高五五・一センチメートル

 檜材、寄木造の女神の坐像で、表面は部分的に紙貼りをし、白土下地に彩色をほどこすが、その大部分は後世の補彩とみられる。

 像内に銘記があり、天文(てんぶん)十二年(一五四三)春、三宝神に帰依し祈願した施主村上義清か、その示現像一体を造立したと記す。これが造立当初の銘記とすれば、本像は三宝荒神(さんぽうこうじん)の示現像ということになる。しかし頭頂に頭巾(ずきん)の冠を頂き、髪を中央で振りわけ左右の肩に垂らして微笑する姿は、子安の神とされる木花開耶姫(このはなさくやひめ)をあらわしたものと考えられる。しかし大袖の衣、肩布(雲型)などの着衣は、吉祥天像ともうかがえる。さらに衣の襟(えり)をひろげ右手に蓮華を執り、左手をそえ、内懐に裸身の嬰児(えいじ)をいだく姿は、仏教の鬼子母神(きしもじん)(訶梨帝母(かりていも))に近い。定形のない子安神を造像するにあたって、作者は鬼子母神にその姿をもとめたものではなかろうか。


写真26 木造伝子安荒神坐像