重文 一三世紀後半 元善町 善光寺蔵 銅製 蠟型、鋳造 鍍金
・中尊 像高四二・四センチメートル
・左脇侍 像高三〇・五センチメートル
・右脇侍 像高三〇・二センチメートル
この三尊像は、一般に善光寺式阿弥陀(あみだ)三尊といわれるものである。本寺の創草をこんにちに伝える平安時代後期の『扶桑略記』、『伊呂波(いろは)字類抄』などでは、霊験あらたかな阿弥陀三尊としてその縁起が説かれ、鎌倉時代以降この三尊像が盛んに造立されるようになった。いわゆる善光寺式三尊像の原像である。そしてこのころ、本尊の阿弥陀三尊は厳重な秘仏とされるようになった。本像はこの秘仏である阿弥陀三尊の前立(まえだち)として名高く、七年に一度の「御開帳」のさいには開扉(かいひ)され、そのときには全国から大勢の善男善女が参詣に訪れる。
中尊の阿弥陀如来は、衲衣(のうえ)、裳(も)をつけ、左右の腕を屈臂(くっぴ)し、右手は施無畏印(せむいいん)、左手は刀印(とういん)の印相を結ぶ。両脇侍(きょうじ)はほぼ同形で、両像とも六角の宝冠を頂くが、観音菩薩は化仏(けぶつ)、勢至菩薩は水瓶(すいびょう)をあらわし、ともに天衣、条帛(じょうはく)、裳をつけ、両腕を屈臂し胸前で梵篋(ぼんきょう)印の印相を結んでいる。この三尊の印相は特有のもので、このほか三尊はひとつの光背に、また臼形(うすがた)の台座に立つなどが定められている。造像方法は、明確ではないが合わせ型一鋳による鋳造で鍍金(ときん)をほどこす。頰(ほお)張りのある童子形の表情を示す遺品は鎌倉期の遺例にはあまり例をみない。製作年代は鎌倉時代一三世紀後半と推定される。
善光寺式三尊の造像は、建久(けんきゅう)六年(一一九五)銘をもつ甲府善光寺の本尊が、最古の遺例として知られるが、中世にさかのぼる遺例は全国で二百余例におよぶ。しかし、県下にはその伝存例はきわめて少ない。
このほか長野市で注目される善光寺三尊としては、無常院(安茂里)の銅造阿弥陀三尊像(市文)、世尊院(せそんいん)(元善町)の木造阿弥陀如来(市文)があげられる。無常院の鎌倉時代後期にさかのぼる主尊の大粒の螺髪(らほつ)、張りのある面相部は古様を示す。また流れるような衣文のつくりは端正である。世尊院の阿弥陀三尊は木造仏である。善光寺縁起にもとづく原像は、金銅仏とされている点が注目されよう。