重文 一三世紀後半 元善町 世尊院蔵
銅造、一部木製 漆箔 全長一六五センチメートル
本像は世尊院の主尊として祀られている、等身大の銅造釈迦涅槃像である。涅槃像とは、八〇歳を迎えた釈尊が、クシナガラの熈連河(きれんが)のほとりの沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で入滅(にゅうめつ)したときの姿にもとづいている。そしてその釈尊の生涯の重要な場面は絵画や彫刻であらわされている。そのなかで涅槃像は、横臥する釈尊の周囲には、数多くの仏弟子、菩薩、天部、動物などを配する必要上、絵画であらわされることが多い。したがって本像のような彫像はきわめて少ない。
本像は明治二十七年(一八九四)に災禍に見舞われ、左腕を除く胸前からすそまでの正面を失ってしまった。そのため木製でその部分を補作し全面に漆(うるし)をほどこす。幸いに頭部は焼痕を残しながらも、原容をよくとどめ、大粒の螺髪、波形の髪際(はっさい)、長めの面相や面貌など、鎌倉期の特色をうかがい知ることができる。
なお善光寺大勧進にも、小振りではあるが室町時代と推定される銅造の釈迦涅槃像が伝存する。両寺がともに銅造の涅槃像を祀ることは、善光寺縁起にもとづく善光寺三尊が銅造であることと因縁があるように思われる。
また世尊院には、本像のほかに注目されるものとして、木造毘沙門天立像(市文)がある。南北朝時代と推定されるが、後世、補修がおこなわれ全体的に痩身となっている。