県宝 一四世紀前半 信更町三水 長勝寺蔵
檜材 一木造 玉眼 彩色剥落
・阿形(あぎょう) 像高一九四・七センチメートル
・吽形(うんぎょう) 像高一九七・二センチメートル
頭頂の髻(もとどり)を高く結いあげ、瞋目(しんもく)の両眼を大きく見開き、開口して、上・下歯をみせて怒りをあらわにする阿形は、左手に金剛杵(こんごうしょ)を振りあげ、右手は垂下させ五指を開き、腰を左にひねり、右脚を踏みだして立つ。吽(うん)形は、瞋目・閉口の面貌で、阿形に対応する姿態をとるが、右手は腰もとで掌を前方に向け、左手は垂下し金剛杵をにぎる。
両像とも檜の一木造で、髻、遊脚部や裳の折り返しなど一部に別材を矧(は)ぐが、全体の構造は、建仁三年(一二〇三)に造立された東大寺南大門の金剛力士に共通する手法がみられる。とくに注目される点は、両像の威嚇(いかく)し、怒りをあらわにする面貌の肉づけである。この写実をもとに刻んだ描写は、鎌倉期の仁王像の特色が認められる。しかし体部の筋肉表現の誇張とその処理などは、やや形式化が認められる点など、製作年代は、鎌倉時代も末の、一四世紀前半と推定されよう。
現状は、両像の表面には麻布を二種貼(は)りかさね、彩色がほどこされているが、いずれも後補である。また両像の面部、手指、裳の折り返しなどの一部、両像の事物や框座(かまちざ)などにも後補が確認されるが、その保存状態は良好である。