木造地蔵菩薩立像

1082 ~ 1083

市文 一三世紀前半 篠ノ井塩崎 長谷(はせ)寺蔵

檜(ひのき)材 寄木造 玉眼 漆箔、古色塗 像高八〇・〇センチメートル

 構造は、頭体部をとおして正中線および体側で、前後左右に矧ぎ合わせた四材から頭体幹部を彫りだし、内刳(ぐ)りをほどこし割首をおこない、玉眼を嵌入(かんにゅう)する。両腕は肩先、両手首、さらに両腕の着衣、両足先を矧ぎつけている。なお衲衣(のうえ)の袖部、両手首、両足先など損傷がすすんでいたが、近年中央仏師によりすべて補修された。

 頰張りのゆたかな面相部、目尻をやや吊(つ)りあげ、正面を凝視(ぎょうし)するきびしい表情のまなざし、奥行きのある体軀(たいく)をおおう着衣には、写実を基本とした衣文(えもん)が、無駄なく力強く刻まれている。このような充実した造形には、鎌倉時代前半の慶派(けいは)一門(康慶・運慶の流派)の作風をうかがい知ることができる。県下には慶派の作とみられる仏像が、本寺をふくめ六軀(く)伝存する。本像はその数少ない慶派の秀作のひとつとして貴重である。

 なお本像は、かつて更埴市桑原の長福寺の主尊として祀られていたが、同寺が廃寺になるにおよび、本寺へ移安されたと伝えられているが、長福寺への招来については不詳である。