重美・市文 一四世紀後半 元善町 善光寺本坊大勧進蔵
銅製 鋳造 鍍金 総長一五・六センチメートル
密教法具のなかで、金剛杵(こんごうしょ)・金剛鈴、それを載せる金剛磐はその中心をなし、独鈷杵(とっこしょ)、三鈷杵(さんこしょ)、五鈷杵(ごこしょ)などの金剛杵と金剛鈴は、古代インドの武器を象徴するもので、密教の儀式・修法に取り入れられ重要な役割をになうようになった。わが国へは、平安時代初期、中国への留学(るがく)僧空海によって招来された。
本寺に収蔵される五鈷杵の形制は、把部(はぶ)中央に、ほぼ円形に近い鬼目を四個、その上下に二条の紐(ちゅう)で約した八葉重弁の蓮弁を配している。鋒先(ほこさき)はわずかの突起にとどまり、全体的に重厚さは感じられるが、やや鋭さに欠けおとなしい。鍍金は腐食によりかなり剥落がすすんでいる。なおこの五鈷杵は、善光寺の境内から発掘されたものと伝えられているが、確かなことはわからない。
わが国の金剛杵の歴史的な変遷をみると、平安時代初期は、古代インドの武器を象徴する金剛杵の祖形は、その鈷先(こさき)がかなり鋭い。後期になると、穏やかな鈷形に変化し、華麗な装飾性がうかがえるようになる。鎌倉時代は、張りの強い堂々とした量感あふれる鈷となる。そして南北朝、室町時代以降になると、全体的に趣が乏しく硬さが感じられる形制に変化する。このような金剛杵の変遷からみると、本五鈷杵の製作年代は鎌倉時代後半と推定されよう。