黒褐釉(こくかつゆう)水滴茶入 銘更科(さらしな)

1089 ~ 1090

未指定 一五世紀(室町時代) 松代町松代 真田宝物館蔵

陶製 水滴形 黄瀬戸 高六・三センチメートル、口径四・〇センチメートル、底径四・五センチメートル

 この水滴の茶入は、松代藩主真田家に代々伝えられているものである。添えられている文書に、安永九年(一七八〇)三月六日、信濃国更科郡大塚村の百姓六左衛門勝蔵が、畑のくれから黄金二四粒とともに小壺(こつぼ)を発掘し、真田家に献上したとしるされている。

 この小壺は、献上されたあと、いわゆる水滴茶入に見立てられ、象牙の蓋(ふた)が添えられ、発見地にちなんで「更科」の銘がつけられ茶入として用いられるようになったものである。低い筒形の口頸(こうけい)をもち、その左右に耳を貼(は)りつけ、片口風の注口をつけている。腰下は露胎で、底部は糸切り底となっている。全体に褐色と黒釉のまざった瀬戸の天目釉が厚手にかけられている。

 この見立て道具としての茶入は、素地、釉薬、器形などから、尾張の瀬戸地方でつくられたものであろう。製作年代は、一五世紀、室町時代後半と推定される。