刀 無銘(三原の太刀)

1091 ~ 1091

県宝 一四世紀後半(南北朝時代) 松代町松代 真田宝物館蔵

鎬造 庵棟(いおりむね) 鍛え板目流れ地沸つき地景(じけい)入る 刃文直刃足入り小沸つく 茎大磨上(なかごおおすりあ)げ 目釘穴三 銘(伝古三原) 刀身七一・九センチメートル、反り二・一センチメートル

 伝古三原と称される刀は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて、備後(びんご)国(広島県)に、三原派と称する刀工集団がおり、その刀工が鍛えたものをさす。その三原派で皆大和伝を主体とした打ち物では、正家、正広などが有名である。

 この三原の刀は、上田藩主真田昌幸が朝鮮出陣の恩賞として、豊臣秀吉から拝領したものと伝えられる。鎌倉時代から南北朝時代にかけ、刀工は三尺前後の大太刀を競ってつくった。時代が室町時代にくだると、武士は大小二本の刀を腰に差すようになり、それまでの大太刀は二尺二、三寸の刀に打ち直して使用するようになった。この三原の太刀も、同じ理由で磨り上げられて銘が失われてしまったものと考えられる。なお現在の拵(こしらえ)はのちにしつらえられたものであり、金の家紋散、小柄(こづか)、竜文の笄(こうがい)などはみごとで、桃山時代と伝えられている。


写真33 刀 無銘(三原の太刀)