県宝 一六~一九世紀 松代町松代 真田宝物館蔵
指定三八一通
真田家は滋野(しげの)系海野(うんの)氏の一族で、一六代海野棟綱の子幸隆が、小県郡真田に居館を構えて真田家を名乗ったことに始まる。それ以来、戦国時代には甲斐の武田氏に属し、武田氏滅亡後は豊臣秀吉に知遇を得、東信に確固たる勢力を築いた。慶長五年(一六〇〇)石田三成の挙兵にともない、真田家は昌幸と二子の信繁(幸村)は豊臣勢に、長子信幸(信之)は徳川勢にと袂(たもと)を分かつ。その後信之は徳川家康に忠勤を励み、真田家の基礎を築いた。元和八年(一六二二)上田から松代に移封後、真田家は松代一〇万石の領地を守りとおした。なお真田家に伝わる初代藩主真田幸隆以来の文書は、五万点余におよぶといわれ、その内容から家文書、藩庁史料の二種に分類されている。藩庁史料類は、昭和二十五年(一九五〇)、真田家から文部省史料館(現国文学研究資料館史料館)へ譲渡されたが、家文書はそのまま松代の邸宅へ残された。そして昭和四十一年真田家より、邸宅および家文書・大名道具類がいっさい長野市へ移譲され、のち昭和四十七年、そのうち三八一通の家文書が県宝指定をうけ、こんにちにいたっている。
現在、真田宝物館には、天文(てんぶん)十九年(一五五〇)七月二日、武田晴信(信玄)が幸隆にあてた領知宛行(あてがい)状以下、信之・信政・幸道関係を主とした三八一通のほかに、歴代の領知状・領知目録、民政に関する文書、家中・領内条目等々、真田家の歴史を語る貴重な史料が収蔵されている。なお、国文学研究資料館史料館蔵の文書は『松代真田家文書』とし、真田宝物館蔵の文書は『真田家文書』という。