重文 一六世紀 元善町 善光寺本坊大勧進蔵
紙本 墨書 軸装 指定八図・附一図 縮尺一〇分の一
善光寺は創建以来たびたび火災に遭遇している。前節でみたように本図の享禄(きょうろく)四年(一五三一)の年紀のある造営図は、その再建のための設計図と考えられる。作図の年代が明らかな設計図としては、わが国に現存するものでは最古のものである。
造営図は現在巻子装(かんすそう)仕立てで、八鋪(しき)(重文指定番号一~八)、屋根伏図および扉図一鋪の合わせて九鋪からなっている。いずれも墨差しで、縮尺は一〇分の一に描かれている。鐘楼建地割図袴腰部右脇および熊野三社側面図右端下に、善光寺大工遠江守(とおとうみのかみ)が、七〇歳の享禄四年四月に記したとの墨書銘が確認される。筆跡や建築様式から、室町時代後期の設計図面とみて間違いないであろう。とくに熊野三社の向拝柱(ごはいばしら)の上の桁(けた)が三本あることは、このころの信濃の神社建築の特色といえる。また神明社の柱の上に出組(一手先(ひとてさき))のような仏寺様式がみられるのも同様である。
なお造営図は、善光寺の付属建物のみで本堂の図面は伝存しないが、山門は三間一戸の楼門、鐘楼は袴腰(はかまこし)つきで、室町時代の善光寺の図面に描かれた鐘楼と一致する。現在この図面による梵鐘(ぼんしょう)は、甲斐善光寺に伝存しているが、わが国の建築史上においてはきわめて貴重な図面といえよう。