木造百万塔

1096 ~ 1097

市文 八世紀 善光寺本坊大本願・寛慶寺・往生寺・西光寺蔵

木造 三層塔形 轆轤挽(ろくろび)き 白土彩色 総高二一・五センチメートル

 百万塔は天平宝字八年(七六四)、藤原仲麻呂の乱が治まったあと、称徳女帝の発願により、戦死者や刑死者の霊を鎮めるために造られた木造三重塔で、塔のなかには世界最古の印刷物といわれる、根本・自心・相輪・六度の陀羅尼(だらに)経が納められた。この陀羅尼経の根本経典である『無垢(むく)浄光大陀羅尼経』には、「小塔を造り供養すれば、人間のみにくい争いが消滅し、世の中に平和がよみがえる」と説かれている。

 この百万塔は、当時は「三重小塔」とよばれ一〇〇万基つくり、完成後は法隆寺、東大寺など十大寺にそれぞれ一〇万基ずつ安置され、各寺院では供養をおこなったが、長い年月をへて多くの塔が失われてしまった。現在、法隆寺には約四万六〇〇〇基の塔が伝存している。

 塔は檜(ひのき)材を用い、横軸の轆轤で、露盤や伏鉢や受花などを刻む相輪部と、三層の屋蓋(おくがい)からなる塔身部を別々につくって組み合わせ、全面に白土で化粧している。なお法隆寺に伝わる大部分には、基壇の底部に「景雲(けいうん)元年十一月十日奇見」など、製作年代や工人の名が墨書されている。なお、昭和五十六年(一九八一)から始まった『法隆寺昭和資財帳』の調査で、この小塔は神護(じんご)景雲元年(七六七)に始まり二年間で完成したこと、工人は二〇〇人をこす数であったことがわかった。

 なお、長野市の四寺に伝存する百万塔は、法隆寺が明治四十一年(一九〇八)、同寺の維持基金をつくるために、有償で譲与したときのものである。