城への関心・地域の文化財

1116 ~ 1117

日本各地に数多く分布する中世城郭については、土地に刻まれた歴史資料として、すでに江戸時代から関心がもたれていた。当時の地誌には、城と館・屋敷の伝承が多く記載されている。明治以降には地誌類の編さんにともない調査がおこなわれている。さらに昭和初期以降の郡誌・市町村誌の編さんと教育会などが主体となっておこなった城郭調査では、地域の文化財として扱われ歴史研究の資料として位置づけられるようになった。後者には、『南佐久郡古城址調査』・『上高井郡山城居館址類集』など研究史として重要視されているものがある。いっぽうで、山城の研究を推しすすめたものに、郷土史家による個人的な調査があった。草深い山中を歩き城跡を記録する地道な研究には、その根底に城跡を地域史を語る文化財として活用しようとする強い意図があった。戦後からこんにちにいたる城郭研究は、このような個人的努力にも支えられていた。

 現在、城跡は身近な文化財として地域のなかにとけこんでいる。中世の山城は人里離れた場所に立地するため、常日ごろ接する機会がなくイメージすることがむずかしい。ところが、私たちは小学校のときに遠足の目的地として城跡にのぼり、山頂につくられた削平(さくへい)地(近世城郭の本丸に相当)などを見ていたのである。さらに城跡は、こどもたちの遊ぶ場所としてもよく使われ、意外と接する機会があったのである。