三 考古資料からみた長野市の居館跡

1128 ~ 1129

 市内各地で土塁や堀で囲まれたり、周囲より一段高い四角い場所を見かけることがあるが、これが中世の館(やかた)あるいは居館(きょかん)(方形館)とよばれる屋敷跡である。この居館跡は一辺五〇メートル以上の規模で周囲を土塁や堀で囲む特徴をもち、現在と違って身近に武力行使や戦争が起こるなかでつくられた中世の武士屋敷跡と考えられてきた。ところが、近年では、一般の人びとも戦争と無関係ではなかったとする説が示されるようになり、発掘調査の増加で堀・土塁で囲まれる町・村・寺があり、あるいは堀や土塁をもたない武士の屋敷もあることが考えられるようになった。長野市内でも居館ともいい切れない一辺五〇メートルに満たない小規模な堀や土塁をもつ遺跡が見つかっている。時代ごとの社会状況や戦争とのかかわりかたによって堀・土塁で囲まれる施設にも多様な姿があったようである。ここでは、武士の屋敷とは断定できないが、堀・土塁をもつ屋敷を居館跡として紹介しよう。


写真55 現在に残る館の土塁跡(栗田城跡)
社殿のあるところが土塁