長野市域の居館跡は約七〇ヵ所ほど知られる。近年の開発で急速に消滅しつつあるが、ごく身近な場所でも見かけることができる遺跡である。
これまでに知られている居館跡分布をみると、地域によって粗密が認められ、犀川以北、千曲川以西の旧長野市域のように全体的に密度が高い場所もあれば、若穂や篠ノ井地区のように単独の館が散在的にみられる場所、川中島町今里や塩崎地区のように特定の場所に複数の館が接近してみられる場所などがある。なお、山城の分布と対比すると、旧長野市域では居館の多さに比べて山城は少なく、いっぽうで千曲川右岸は山城が多い傾向がある。旧長野市域内の館跡の多さは室町時代の支配関係の複雑さによるかと思われるが、あるいは山城を構えることができない地形環境によるのかもしれない。
また、居館跡は地形によって形態に違いがあることも認められる。平地にある居館跡は、水田内の小微高地や、犀川・千曲川沿いの自然堤防に立地するものがあり、別名「方形館」とよばれるように屋敷周囲を四角く堀・土塁で囲む形態を基本とする。自然堤防上に立地する居館跡は河川交通との関係によるものであり、水田内の小微高地に立地する居館跡は水田支配を目的とすると指摘する説もあるが、機能の違いと形態の関係についてはよくわかっていない。いっぽうで長野市西部の山地では小高い丘陵上などに居館跡があり、いくえにも堀を重ねて山城と類似した施設をもつ形態が知られる。また、この地域では、特別な施設や防御施設の痕跡(こんせき)のみられない「じょう」「城」「○○屋敷」とよばれているところもある。