高橋白蓮家の系譜

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中衆一五坊は善光寺草創者若麻績東人(わかおみあずまびと)の後裔(こうえい)と伝えられ、中世以降から浄土宗で妻帯であった。中世には寺領統治にもかかわった。近世にはみな俗姓を名乗っていたが、そのうち、高橋白蓮(びゃくれん)家出身のものが、あいついで大勧進代官になり、あるいは大勧進住職になって力をふるった。寛永年間(一六二四~四四)ころ、高橋円喜が代官になり、その子助右衛門・随閑(ずいかん)・庄右衛門らがあいついで代官・役人として権力をふるった。

 高橋家の系譜は上の系図(図2)のとおりである。


図2 高橋白蓮家の系図