町方検地帳

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天和(てんな)三年(一六八三)には、寺領町村はいっせいに差出検地帳を作製した。『市誌』にはこの年の「後町町検御改帳」(『市誌』⑬一七六)が、『県史』には「箱清水村名寄帳」(⑦四四五)と「大門町町検御改帳」(⑦四四六)が掲載されている。このほか「平柴村名寄帳」(『県史』⑦四四四)、「岩石町軒之覚」、「西町街並(まちなみ)御改帳」なども現存している。作製責任者は庄屋(名主)で、提出は主に十月付けである。十月締切で庄屋にいっせいに提出させた差出検地帳であるが、箱清水村は「名主」と記すなど、村役人の役名さえ不統一で、内容にもいろいろなばらつきがある。

 大門町の検地帳には間口と奥行と伝馬(てんま)役とが記されている。六二軒のうち、「御伝馬一軒役」が四九軒と大部分を占めている。一軒役の屋敷は、間口一四間余の家から四間の家までかなり開きがある。最初の部分をみると作十郎は間口一〇間半、「東」の与五兵衛は四間五尺でともに一軒役、東側につづく徳兵衛と孫右衛門は、間口四間三尺五寸ずつでともに半軒役である。東側二二軒の奥行は二九間から一九間までさまざまで、西側二九軒も、奥行は三一間から一一間までさまざまである。奥行の少ないのは、奥に別の家があるためらしい。家族数などは記されていない。町年寄・庄屋は伝馬役が免除されており、また二軒だけ小被官役の家がある。


図6 善光寺大門町の屋敷と伝馬役 (『県史』⑦446により作成)

 家族数を記した「名寄帳」は別冊になっていたらしい。「後町名寄御改帳」には二一軒分の屋敷と籾(もみ)高・人数・当主名が記されている。人口九八人、高六石余の小町である。付箋(ふせん)に「天和軒並帳に御役儀御免半間とあり」などの記載があり、「上人様御被官」とか「小被官」とか記した「軒並帳」が別にあったことがわかる。「軒並帳」は持主を確認するため何度も作製された。