寺枡は一升二合五勺入り

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善光寺領では近世初期から幕末まで、一升二合五勺入りの枡(ます)で計算している。寛永十六年(一六三九)、下大門町は「御年貢枡は、今はどこでも江戸枡を使っているのに寺役人円喜らは一三合入りの枡で年貢をお取りになる」と訴え、それにたいし、寺役人は「善光寺では四代以前からこの枡を使っているから文句はあるまい」と答えている。寺役人の書いた書に、「松代一俵は寺枡四斗なり」という説明がある。松代俵は五斗入りで、これは一升二合五勺の枡ではかれば四斗になるわけである。寺俵は大俵ともいって、寺枡四斗八升入り、普通枡では六斗入りであった。

 前にのべた居村・出作のことといい、この寺枡のことといい、善光寺領では室町時代末期のやり方がそのまま残っていた。ただし、平柴村は一度松代領になったことがあるので、すべて松代領に準じて処理された。