七瀬村依田松雄家には、文化八年(一八一一)から明治三年(一八七〇)までの年貢請取状(皆済目録)が、はりつがれ巻物になって残っている。そこには検見引の割合が示されている。豊年の年は検見引なし(一〇〇パーセント納入)だが、たいていの年は被害の程度に応じた割引がある。
納税の割合は、天保七年(一八三六)の四〇パーセントを最低に、凶作年の文政八年(一八二五)・天保四年・天保九年・明治二年(一八六九)がワースト五。引なし一〇〇パーセント納入は文政九年・天保二年・同五年・同十三年・弘化三年(一八四六)・嘉永元年(一八四八)・同六年・安政二年(一八五五)・同三年の各年である(表3)。