善光寺領は、大勧進と大本願とで七六四石と二三六石とに分割支配されることになっていた。大勧進分には三寺中(院坊)への支給分をふくんでいた。貞享(じょうきょう)四年(一六八七)の納籾の合計は表4のとおりである(貞享四年「御勘定目録」)。石になおすと約三五七石にあたる。口籾三四俵、種借二七俵などをふくんでいるが、ほぼ三割五分くらいの税収であろう。寺中への配分は表5のとおりである。
町方の年貢(籾高)は金納であるが、籾で計算している。
なお、大勧進の幕末ころの年間租税収入は金納約三〇〇両、籾三〇〇俵(約一〇〇両)、計約四〇〇両で、大勧進全収入一二四七両の約三二パーセントにあたった(「嘉永六年年中御収納高大凡調」)。
大勧進の寺院収入の主なものは、御血脈(おけちみゃく)・日月牌(ぱい)・御回向(ごえこう)料など約四〇〇両、本堂賽物(さいもつ)約三〇〇両などだった。