冥加・運上

280 ~ 281

冥加・運上には、肴(さかな)問屋冥加・質屋冥加・竹林冥加・塩屋運上などがあり、さまざまな雑税が課されている。善光寺町には各種の株仲間があり、領主善光寺に届け出、冥加を納めて営業の許可をうけていた。春に仲間ごとに帳面をつくり、それによって冥加金を上納することになっていた。文政九年(一八二六)、松代藩は産物統制を始めるため糸会所をつくり、ついで天保四年(一八三三)、産物会所をつくって紬(つむぎ)・木綿・米などの統制を始め、これらの産物を勝手に領外へもちだしてはいけないときめ、また領内各所に新市を立てた。締め出しを食った善光寺町は、天保五年に寺社奉行所へ訴訟をおこし、翌年、善光寺領は松代領と同様に扱うという松代藩の許可を得た。この結果、松代領と取り引きのある木綿・紙などの商人は、松代藩へ冥加金を払って鑑札をうけて商売をするようになり負担が増えた。

 雑税には、山秣永(やままぐさえい)・肴問屋冥加・質屋冥加・市(いち)役・竹林冥加・塩屋運上・室(むろ)運上・松茸(まつたけ)役・渋柿役などがあった(明治五年十月「雑税並運上冥加名目改正並免除之儀伺 旧善光寺領受取り村々」、および明治六年四月「信州長野村雑税免除之儀ニ付伺 善光寺御領」)。