不断念仏料所から祠堂金へ

305 ~ 306

祠堂金(しどうきん)というのは、死者の冥福を祈るために、信者から寺に寄進された金をいうのがふつうである。もちろん、古いころは金銭にかぎらず、土地などが寄進される例も多かった。善光寺の場合でいうと、寺のほど近くにあった藤原氏(九条家)領千田庄(芹田)は、建長(けんちょう)二年(一二五〇)以前に善光寺不断念仏料として寄進されている(『信史』④一五七頁)。これはいうまでもなく、その荘園の収入で九条家菩提(ぼだい)のために不断念仏を営ませようとするものである。

 また、鎌倉幕府の執権北条泰時は延応(えんおう)元年(一二三九)七月十五日、同じく善光寺不断念仏料所として田六町六段を寄進した(『信史』④七三~七六頁)。弘長(こうちょう)三年(一二六三)三月十七日には、北条時頼が善光寺不断経衆および不断念仏衆の料として田各六町を寄進して、自己および一族らの後世を祈らせている(同前書二四一~二四四頁)。しかし、貨幣経済の発展につれて、このような寄進はしだいに金銭などで納められるようになり、祠堂金または祠堂銭とよばれるようになった。これらの金銭は希望者らに貸しだされ、その利子をもって法要などをおこなうのが例であった。

 祠堂金貸し出しは営利のためのものではないから、特別の保護が加えられた。徳政などの場合、祠堂金がその対象から除かれ、とくに保護される場合が多かったことはよく知られている。