三寺中祠堂金

308 ~ 309

これは善光寺寺内諸寺院の祠堂金である。近世善光寺には、衆徒(二一院)・中衆(一五坊)・妻戸(一〇坊)の三つの僧団があり、これを三寺中といった。各院坊には、それぞれ信徒からの祠堂金が積みたてられている。たとえば、天明二年(一七八二)には、院坊に合計七〇四四両の祠堂金が積みたてられていた(表7)。そのうち、相当部分が「御本坊にて御貸附くだされ候」、すなわち本坊(大勧進)に委託され、大勧進から領民らへ貸しつけられていた。三寺中祠堂金の使途内訳は表7のとおりである。すなわち、院坊祠堂金の約四〇パーセントが大勧進に委託されている。自坊貸金よりも大勧進への預金のほうが多いのは、その安全性が信じられていたからであろう。しかし幕末に近づき、大勧進の祠堂金運営が不健全になってくると、院坊の祠堂金はほとんど大勧進へは集まらず、自坊回しと称して自院で運営するようになった。慶応三年(一八六七)「諸料物取扱条々」に、「山内諸料物は古来から規則があるのに、去る天保度以来難渋の趣申し立てて、自坊廻しと相唱へ、不実千万の取方になり」と嘆いているのはそのあらわれである。なお、この各院坊への祠堂金もそれぞれ施主と寄進の目的とがはっきりわかっていることはいうまでもない。


表7 院坊の祠堂金運営状態 天明2年(1782)