五人組のことを領主・村方文書(もんじょ)では単に組合といい、その代表を組合惣代(そうだい)とよぶことが多い。親類のほうも文書に親類惣代として登場することが多い。その組合と親類とは、領主法の規定によって一定の役割・責任を負わされるほか、村のなかでも村法あるいは社会的慣習により種々の役割・責任を果たすべき存在であった。そうした役割は多種多様な面にわたって無数に存在しており、その全体を網羅的にとらえることはむずかしいが、事例をとおして主要なことがらをうかがってみよう。
領主法では、五人組や親類の役割についてどう規定しているか。このことは領内法度や個々の触書(ふれがき)などでも出てくるが、もっとも包括的な五人組帳前書(まえがき)によってみておきたい。前書箇条はすべて五人組の役割にかかわるものではあるが、その責任者や違反処罰者としては名主あるいは名主・組頭だけか、または村中百姓を記す箇条が多い。そのなかで、五人組あるいは親類の役割・責任を明記した箇条を取りだしてみる。
幕府領の享保五年(一七二〇)今井村(川中島町)五人組帳(『小林家文書』長野市博蔵)と、同十四年中氷鉋村(更北稲里町)五人組帳(『県史』⑦三四五)の異なる内容の二帳にもとづき、まず、五人組関係を取りだすとつぎのようである。幕府領の場合であるが、多くは他の諸領にも共通するとみてよい。
① 切支丹宗門禁制上不審なものを隠し後日露顕したならば、名主・組頭・五人組に罪科を申しつける。
② 田畑永代売買などの御仕置筋を守り、質入れの場合は年季をかぎり、名主・五人組が吟味をとげ加判した証文を取りかわすべきこと。
③ 累積した未進(みしん)または欠落(かけおち)ものの年貢は、名主・組頭・五人組はもとより、村中で弁納すべきこと。
④ 火事がおきないよう、火の元の儀は五人組が常々大切に吟味せよ。
⑤ 旅人に一夜の宿なりとも貸すときには、その人物の出所をよくよく確かめ、名主・五人組へ断わり、翌日も逗留(とうりゅう)する場合は名主・五人組が立ち会い吟味のうえ留(とど)めること。
⑥ 博奕宿(ばくちやど)を貸すもの、酒狂口論を好むもの、公事(くじ)その他無筋の訴訟の腰押しをするもの、法外なる世渡りをするものなどは、名主・組頭が吟味のうえ申し出、五人組のものが心付けよ。
⑦ 徒党(ととう)がましい儀はもとより、総じて百姓一味を禁じる。よんどころない公事は、まず五人組、ついで名主・組頭に相談し、その仲裁でも埒(らち)があかないときは名主添え状をもって訴えでよ。
⑧ 訴訟そのほか何事でも申しでたい儀があれば、五人組へ断わり、名主・組頭をもって申しだすこと。
⑨ 他所(よそ)へ出かけ一泊以上するときは、名主は組頭に、そのほかのものは五人組へ断わり帰ったら届けること。
⑩ 親不孝、夫婦・兄弟・親類不和、その他種々の不行跡もので、名主・五人組の意見も用いないものは申しでよ。
⑪ 婿(むこ)・嫁(よめ)・養子縁組には名主・組頭・五人組が立ち会い、よくよく念を入れ問題がおきないようにせよ。
⑫ 跡式(あとしき)の儀はかねて書置(かきおき)証文をつくり、親類縁者と名主・五人組が立ち会い加判し、死後に出入りがないようにせよ。跡目のいないものが不慮に死去したならば、所持の品々を名主・組頭・五人組が立ち会って預かり、跡継ぎのものを筋目を糺(ただ)して決めて引きわたすこと。
⑬ 独り身の百姓が長煩いなどで耕作できないときは、五人組が助け合い、田畑を荒らさないようにせよ。
⑭ よんどころなく奉公人や金銀借用の請人(うけにん)に立つ場合は、名主・五人組に断わりその指図をうけること。
⑮ 牛馬売買は、馬喰(ばくろう)の出所を改め、確かな請人を立て、五人組に断わり、売買すること。
同じ二種の五人組帳で、親類の役割にふれているのは左の二ヵ条である。
① (右の⑩と同じ箇条)親不孝もの、夫婦・兄弟・親類不和のもの、総じて不行跡もの、家業を励まないものなどには親類が諭(さと)し、さらに名主・五人組の意見をも用いないものは申しでよ。
② (右の⑫と同じ箇条)百姓跡式に関する書置に親類縁者ならびに名主・五人組が立ち会い加判すること。
五人組帳以外で、松代城下町にたいする条目をひとつ見ておくと、文化六年(一八〇九)松代八町は町奉行所に条目の請書を差しだした(『県史』⑦五三)。全一五ヵ条のなかに、つぎの箇条がある。
① 博奕、賭(かけ)の諸勝負を堅く禁じる。家内・借家もの・下人などまでその家主が急度(きっと)申しつけよ。もしみだりな儀や怪しいものがあるなら、その五人組から注進せよ。脇々から耳にした場合は五人組まで越度(おちど)とする。
② 借家の儀は名主・五人組へ断わり、十分吟味し確かなものなら請状(うけじょう)を取ったうえで差しおくこと。
③ 諸役人はもとより、親類であっても音信(いんしん)贈答は堅く無用。親類・仲人であってもおおぜい寄り合ってはならない。養子・婿名跡(みょうせき)の儀は、別して念を入れ、むずかしい出入りがおきないよう堅く定めておくこと。
中氷鉋村五人組帳は箇条書きの最後を、「右の条々堅く相守るべし、もし違背の族(やから)これあらば、当人は申すにおよばず、品(しな)により親類縁者・名主・組頭・五人組まで曲事(くせごと)(処罰)たるべきこと」と結んでいる。名主・組頭とともに親類・五人組は領主法を守るべき当事者として位置づけられている。ただ、親類のほうは家秩序と百姓名跡(みょうせき)の維持に関することが中心であるのにたいして、五人組のほうは支配秩序と村落秩序のはるかに広い範囲にわたって役割・責任を負わされる存在であった。
つぎに、村法(村定め・村規定)における五人組・親類にかかわる規定を、二、三の例にかぎられるがみてみよう。寛政七年(一七九五)松代領水内郡千田村(芹田稲葉)は、名主給の支給をはじめ夫銭割りの仕方について「定(さだめ)」二〇ヵ条をとりきめた(千田連絡会文書)。そのなかの一ヵ条に、「潰(つぶ)れ・欠落の儀はその五人組にて引き請け申すべきこと」がある。潰れ百姓・欠落百姓の残した借財はその五人組で弁納する、という規定である。松代藩はこの件について五人組・親類の弁納をふくめて村中弁納としているから、この村法の規定は微妙に異なる。五人組の手に余ればいやおうなしに村中弁納とせざるをえないから、さして食いちがうものではないにしても、村として五人組の責任をより強くとらえていることは確かである。
文化十一年、須坂領高井郡綿内村(若穂)は藩の求めにより、奢侈(しゃし)抑制、倹約徹底を主内容とする「村法規定書」三〇ヵ条をとりきめた(『市誌』⑬一九六)。親類・五人組が出てくるのは左の三ヵ条である。
① 五節句贈答の儀は、これまでありあわせの品で親類縁者へ贈ってきたが、倹約年限中はやめる。年始・歳暮の儀は格別なので、これまでの仕来りどおりとするが、なるべく手軽にする。
② 身上不如意のものが借金するため借金証文の請印(うけいん)を願いでたなら、親類・組合で相談し家内の実情を取り調べ、よんどころない筋であれば加判する。この手順をとらずに加判し、当人が返金不能におちいったときには、加判のものが弁金する。田畑譲り渡しの儀もこれと同様とする。
③ 藩からの御拝借金ははなはだ重い御儀であるから、よんどころなく願いでたいものは、親類・組合相談のうえ組頭へ申し出、組頭はとくと糺(ただ)したうえで名主へ取り次ぎ、御証文を差し上げる。さもなくて組合のみで御拝借証文に証印し、不都合が生じたときは、加判のものが弁金を上納しなければならない。
この三ヵ条の規定は、領主役所に提出する村法ということもあってか、領主法を厳守するための手順を明確にした規定といえる。
千田村は寛政四年以降、石見(いわみ)浜田(島根県浜田市)領と松代領との分け郷となっていたが、文政二年(一八一九)乱れかけている一村一体体制の維持のため、九ヵ条の「両組取極め連印帳」(千田連絡会文書)を作成した。なかに左の二ヵ条がある。
① 質田畑ならびに借用金証文の儀は、五人組・親類が立ち会って糺し、分明であれば三役人へ印形を願いでること。むろん引き当て(抵当)がなければ論外であるが、引き当てのある借用金証文でも五人組・親類の印形のない証文には名主は奥印しない。
② 両御領分の村方百姓が他領の村へ出かけたさい、理不尽な儀を申し懸けられ難儀におよんだならば、その五人組はもちろん、他の組でも見逃してはならない。もし五人組が見捨て実意を失ったときには、両御領分一同が打ち寄り、急度相糺し、厳重の取り計らいをおこなうこと。
このうち、①は領主法で定められたことがらを具体化した規定といえるが、②のほうは村独自の規定であろう。
以上の諸例にうかがえるように、村法といっても多くの規定は領主法の範囲内での再確認や詳細化にとどまるが、しかし、村の置かれた状況に対応して対独自でとりきめる規定をふくんでいることも少なくない。五人組および親類の果たすべき機能は、村法規定でより深まり広がっている。慶応四年(明治元年、一八六八)五月、北高田村(古牧)川端組は「取極め規定連判帳」(北高田 天神社蔵)をつくり、「今般御時節柄につき」と五ヵ年間法事・葬式に菩提寺以外の僧を招くことの厳禁を申し合わせ、五人組の当主三四人が連判(判下は爪印(つめいん))した。その本文のなかに「心得違いこれあり候者御座候わば、組合附合(つきあい)の儀は一切相断わり申すべく候」との文言(もんごん)がある。違反者は五人組から仲間はずしにするというきびしい掟(おきて)であるが、そうした規定が江戸時代最後の年にもつくられていたのであった。
以上のように領主法・村法にみられる組合・親類の役割・責任は、村々で作成される多種多様な証文類のなかに具体化してあらわれる。無数の証文類のなかから、数ヵ町村を対象に、事例代表的なものを取りだして整理してみると、つぎのようなことが指摘できる。
借家・借地および水車架設のための借水にかかわり借り主と親類の印形がおされる証文があるが、これはその屋敷・地所・用水に権利をもつものにたいして差しだした、いわば私的レベルでの証文である。借地・借家や用水堰等の借用証文でも、対村・対領主の公的な文書であれば組合加判を必要とすることになる。無尽の掛け戻し金が滞ってトラブルとなった一件について、村役人へ差しだした済口(すみくち)証文も親類加判である。領主役所にまで上がった事件で、この済口証文に村役人が奥書して領主役所へ提出することになるが、無尽というものが有志による私的関係であるところから、五人組の連判は求められていない。しかし、酒造出造り引き請けや、酒小売商売の開始は、それ自体は私的行為であっても、酒造株、酒造運上、奢侈禁止といった領主規制にふれるいっぽう村内の風紀にもかかわるため、組合加判が求められる。
門屋身分から帳下(ちょうした)身分への昇格を許された百姓が主家へ差しだした一札も親類加判であるが、これは主家とその従属百姓という「家」の内部レベルの証文のためであろう。このあと主家から村へ、村からさらに領主役所へと願書・請書を差しだす段階になれば、組合の加判が必要である。合地百姓を頭判(本百姓)に取り立てることの村役人あて願書は、組合の加判、それも五人組全員の連判がおこなわれている。村と領主の定める身分秩序にかかわるからにちがいない。
また、もとは家内部の私的争いに発していても、その結果が村の百姓名跡(みょうせき)、百姓株の維持如何を左右するような場合がある。夫婦や親子の出入りでも、先祖位牌(いはい)所の維持、つまり百姓名跡の相続にかかわるような問題になると、親類ばかりか組合の合意加判が不可欠となる。まして、不埒(ふらち)を重ね逮捕、牢舎となったものの帰村百姓株相続、欠落(かけおち)人の村帰住などでは、親類・組合双方の合意連判が欠かせない。これらはいずれも、「家」の存続と同時に、村落共同体としての秩序、ひいては領主の支配秩序に直結するからである。