菜種の栽培

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近世後期になると、市域でも商品作物の栽培が急速に広まっていった。代表的なのは菜種と木綿である。木綿のことは第二節で後述する。菜種栽培を見ておこう。

 菜種は油菜を越冬させ、開花・結実させて採取する。菜は雪にも強く、積雪地帯では二毛作の対象ともなった。しかも、土壌の条件にも影響されにくく、市域でもほとんどの村々で広く栽培された。明治初期には市域全体で四九三〇石余の菜種が生産されている(表3)。春には市域のここかしこに菜の花が咲きほこったようすがうかがえる。


表3 明治初期における市域の菜種生産量

 菜種は播種(はしゅ)用のものを除いて菜種商人に売りわたされた。菜種商人は菜種を油絞り職人に売りわたす。油絞り職人は油を製造して油商人に売りわたすのである。油商人は油を売るいっぽうで、油を絞ったあとの廃棄物である油粕(かす)も販売する。油粕は最良の肥料として百姓に買いもどされ、耕地に投入されるにいたった。このように作物をその廃棄物まで利用する方法は、木綿や大豆・米などでも広くおこなわれるようになる。そして、中間生産物にもそれぞれ商人や職人がかかわって、貨幣経済を市域にも根深く浸透させていくことになった。