こうした養蚕・製糸業を支えたものが、技術の進歩である。養蚕は生きた蚕を相手とするうえ、短期間に労力を集中しなければならず、いったん湿度などの管理を誤ると病気が発生するなど、技術と経験が必要であった。
桑の木も、育て方ははじめ立木にして葉を採取していたが、能率をあげ大量給桑を可能とするため根刈りに移行した。また桑自体も関屋の桑園で「広葉早生」が作られていたように、土地に適したものを選び改良されていった。明治七年(一八七四)の県の調査によると、元右衛門・御林・四ッ目(よつめ)などのような品種が作られていたことが知られる(『信濃蚕糸業史』)。葉の特徴やその品種を改良した人物などが名称となっている。このうち四ッ目は化政(かせい)期から作られ、もっとも広く栽培されていた品種である。鼠返(ねずみかえ)しは弘化のころから流行した品種で葉が密生し、鼠もあがりえず引きかえすことからの命名という(『日本農書全集』三五解題)。
また、良質の繭を生産するためにはよい蚕種が必要であった。そのため、自家用の種の利用をやめ、信用のできる産地の種を使うことが一般的になっていく。蚕種の本場は、はじめ常陸結城(ひたちゆうき)(茨城県結城市)で、その後奥州が本場となったが、化政期以降、上田周辺の蚕種製造は奥州と対抗するほどとなった。その影響で、市域でも上田領の川中島を中心に蚕種が作られ、天保八年(一八三七)更級郡中氷鉋村(更北稲里町)の清水源左衛門・青木治郎兵衛・青木金五郎の三人が上州、武州、甲州へ八月から十一月まで蚕種商いに出かけているように(『青木家文書』長野市博蔵)、関東方面に多く移出されていた。『町村誌』からみると、更級郡塩崎(篠ノ井)、水内郡長沼大町(長沼)、更級郡小島田(更北小島田町)、埴科郡豊栄(とよさか)(松代町)の多いことがわかる。
養蚕技術の進歩はこれらを単に経験的伝承にとどめることなく、書物によっても広められた。前述の『桑殖方(くわふやしかた)』のような書物が村々に配られたのはその例である。中沢村の玉井市郎治は文化元年(一八〇四)に『養蚕育之事(ようさんそだてのこと)』、文化十年に『養蚕輯要(ようさんしゅうよう)』という書を著しているが、こうした技術書の刊行を現在の都道府県別にみると、長野県(信濃国)では現福島県域(陸奥(むつ)国)についで全国で二番目に多かった。江戸時代刊行された技術書は一〇〇種類が知られ、福島県域二四種、長野県域は一五種で、三位以下を大きく離している(『日本農書全集』35解題)。これは蚕種の産地と重なり、蚕種師が安定的に市場(種場(たねば))を確保するために、農民との結びつきを強化しようと技術指導をおこなっていた結果である。なお、一〇〇種のなかに年次・作者とも不明として『桑殖方』も入っているが、前記のとおりこの本は文化八年、堀内朝宜の作としてよいだろう。
養蚕書はまた、手習いの教科書としても使われていた。文化六年に更級郡東福寺村(篠ノ井)の白痴口なる人物が「養蚕手練記」、「初登蚕(はつとさん)稽古教訓書」、「養蚕今川准(なぞらえ)制詞之条々」を作っている(『県教育史』⑧)。手練記では「家内挙(あげ)てこの書を規矩(きく)として養育あらハ仕損ずる事なし」として教訓をふくめ、蚕種の保存から繭を作るまで、また桑のあたえ方や蚕尻(こじり)の片付け方など、簡潔にまとめている。『初登蚕稽古教訓書』は、『初登山手習状』という寺子屋の教科書にならってその教訓を示したもので、『養蚕今川准制詞之条々』も『百姓今川准状』を参考に養蚕の注意点をあげている。これらを手習いに使用することで、養蚕の知識をつける一石二鳥の役割をはたしていた。
こうした知識の蓄積と同時に、蚕の大敵である鼠よけのために祈祷(きとう)をしてもらったり、猫の絵を張るなどの習俗も広くおこなわれていた。文化十年「猫絵(ねこえ)の殿様」で有名な上野国新田(にった)郡の旗本岩松徳純(よしずみ)が善光寺参りにきたとき沿道で請われて猫絵九六枚を描いている(落合延孝『猫絵の殿様』)。また養蚕が浸透すると村々では講をつくり石碑を建立し養蚕の神を祭ったりした。現在、市域に残る養蚕関係の石碑の多くは明治以降のものであるが、埴科郡東条(ひがしじょう)村(松代町東条)には村内各地区に近世のものがみられる。東条の般若寺(はんにゃじ)集落には文政七年(一八二四)の銘をもつ石碑があり「保食神(うけもちのかみ)」と記されている(写真11)。「保食神」は農業のはじめの神とされるが、ここでは養蚕神として祭られている。そのほか、村内集落の瀬関に天保十二年、岩沢に安政元年(一八五四)、菅間に安政三年、竹原に同四年、般若寺に万延二年(一八六一)の銘をもつ石碑がある。それぞれ組を単位に祭られており、養蚕の共同、協力組織であった。
養蚕がみられなくなった現在でも、市域では養蚕講と称して集まりを開いている地域もあり、いまにそのなごりを伝えている。