油絞りの広まり

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油は、灯火・食用・防水・整髪など生活に不可欠な物資であり、とくに照明用として重要であった。中世までは胡麻(ごま)油と荏(え)油が使われたが、近世に入り水油とよばれた菜種油(なたねあぶら)、白油と称していた綿実油(めんじつゆ)が多くなる。そして、菜種油がその質のよさもあり広く利用されるようになった。

 夜間の照明が庶民まで行きわたったのが近世で、そのため一日の活動時間がのび、夜なべ仕事も増えるなど人びとの暮らしぶりが変化した。いったん夜の明かりを手に入れた生活には、油は欠くべからざるものとなり、そのため幕府は菜種・綿実や油の生産、流通、消費などに統制を加え安定供給に意を用いた。近世の油の一大生産地は上方(かみがた)で、天保期でも江戸に入荷した油のうち関東産は一割程度で、その他は西国に依存していた。

 菜種の栽培が、信濃で広まってくるのは宝暦年間(一七五一~六四)以降といわれ、北信や伊那がその生産地となった。その他の地域は高冷地で菜種の栽培には不向きであった。北信では高井郡を中心に川中島や善光寺平に広がっている。また、木綿も更埴地方を中心に水内・高井に広がっており、それらを背景に油絞りが盛(さか)んとなっていく。

 善光寺平では、宝永年中(一七〇四~一一)に油絞り職人の組合である油大工仲間が「善光寺組」と名乗り、一年に四、五回職人が寄りあっている(『市誌』⑬二七八)、江戸前期から油絞りがおこなわれていたことが知られるが、詳細は分からない。

 その後、天明期(一七八一~八九)に油絞りがさかんとなっているようすが史料からも確認できる。天明三年の浅間山爆発にともなう砂降りで、老中田沼意次(おきつぐ)は油の供給不足をおそれ、油仲間を作らせ生産販売の統制をし大坂で水油を買いしめたが、江戸へは平年のように水油が入荷していた。そのため出所を調べてみると信州川中島であることが判明した。幕府法令では明和三年(一七六六)以降、在方(ざいかた)油屋の禁止、「手作手絞(てづくりてしぼり)」分以外の種物(たねもの)はすべて大坂へ回送することとなっており、違法をとがめられた。しかし、信州は山国で雪も多く、寒冷に強い菜種を植えていること、大坂へ送るとしても越後湊(みなと)へ出すこととなり、馬の背よりほかにすべがないのでやむをえず手絞りし、国々へ小売りしているのであって、もしこれが止められれば年貢に差しつかえると主張し、けっきょく認められ、勝手次第に絞り売りしてよいとの公許を得たと稼ぎ人はのべている(米山一政「善光寺平の水油稼」)。

 天明四年には、高井郡の油絞り人が上州高崎宿(群馬県高崎市)あたりに水油を売りだしていたところ、いずれかの宿で油樽(あぶらだる)から油が盗まれかわりに水が入れられるという事件がときどきおきた。調査したところ松井田宿(群馬県碓氷郡松井田町)で盗まれており、その犯人が分かったため、宿問屋や犯人を相手取り争論となった(若穂綿内 堀内豊城蔵)。さらにこの争論で総代の一人となった綿内村(若穂)宗蔵の勘定帳(同前蔵)によると、宗蔵は周辺村々から天明四年に四五石二斗一升七合、金にして一八一両二分余、天明五年に六三石七斗六升六合五勺、三七七両三分余の油を仕入れ、その大部分を江戸・高崎へ売りだしている。これらから、北信濃の油が鳥居峠(小県郡真田町)を越え高崎そして江戸に大量に送られ、関東方面の需要にこたえていたことが知られるのである。それゆえ鳥居峠は別名「油峠(あぶらとうげ)」ともいわれた。

 文政七年(一八二四)、川中島平二三ヵ村の油絞り稼ぎ人にたいし、犀川渡し場の水主(かこ)などが荷代として一人一七文ずつ取ったことで紛争となったが、この背景に油絞りの広まりがみえる。稼ぎ人がわは、その売り先に上田町・善光寺町・佐久平をあげ、都合により上州松井田・高崎あたりへ小売りしているとし、仕入れ方は善光寺町あたりから多く仕入れ、そのほかは川東あたりから仕入れているという。そのため犀川を渡るたびに荷代を取られては不都合、もともと村高割りで水主の役料を出しているので不当と主張した。水主がわは、「もともと商い荷は船賃を取っていた。油稼ぎ人は稼ぎを勝手にやめ勝手に始め、商い荷かどうかわからない。そこで正月からきちんと改めただけである」という。川中島平を行き来する菜種や水油が増え、渡船の利用が増加したことがこの紛争を起こしたといえよう。

 文政・元治(げんじ)の松代領の各村別油絞り稼ぎ人数をみると表19のようである。文政十三年(天保元年)には四六ヵ村、七二人であったものが、幕末の元治元年(一八六四)には、六五ヵ村、一〇二人に増加している。文政期にみられた四六ヵ村のうち、元治までつづいている村は二五ヵ村で幕末にかけて新たに四〇ヵ村で油絞りが始められ、各地に油絞りが広まっていった。


表19 松代領村々の油絞り冥加上納人数