松代城下や善光寺門前の町場では商品札も使われていた。商品札は現在の商品券につながるもので、酒札や茶札などが発行され、見舞いや慶弔事の贈答物、祝儀香典のひとつとして用いられ、人の手から手に渡される。その点では正貨と同様に用いられた。江戸時代の「御見舞受納帳」や「金銭受納帳」などに金貨や銀貨、銭貨と並んで商品札が受けとられているようすが記されている。現存する商品札のほとんどには通用の年次が記されていないため年代を確定しかねるが、酒札の始まりは江戸時代中期(享保期ころ)にさかのぼるといわれ、その他はおおむね幕末から明治時代のものとしてよいであろう。
松代町のものとしては「美登里(みどり)一升」とあり裏面には「タ二千百四拾四番」と通番が記され「信州松代 木町北側 江戸屋」の角印と「江戸屋佐吉」と名のある酒札がある(写真26右)。また「信州松代菊貞」の角印と「菊屋貞蔵」「若松一升」と墨書きされた酒札がある(写真26左)。善光寺町には「御茶札 極山一袋 右御用の節は図印料物に応じ御入用の御茶と取り替え差し上げ申すべき候 善光寺大門町 僊掌堂(せんしょうどう) 蔦屋(つたや)平兵衛」と記す大門町蔦屋発行の茶札がある(写真27)。信濃国の商品札の多くには、酒札は「酒札一枚」「酒一升」「酒一樽(たる)」などとあるもの、ただ銘柄のみ記されるもの、お茶はその銘柄や「代百文」などの代価が記されているのが特徴である。これらの商品札には代価の文言(もんごん)も年代も記されていないが、形態から幕末のものと思われる。
商品札にある「菊貞」「菊屋貞蔵」という人物はどのような人物なのだろう。松代城下で菊屋といえば酒造・酒店、呉服店、油店、醤油店、質屋を営む松代伊勢町の菊屋八田家の屋号に相違ない。「菊屋貞蔵」という名は、文政十年(一八二七)改めの「御料分并(ならびに)善光寺酒蔵株高元帳 御留守居方」(県史⑦九六三)のなかにある。伊勢町八田家の菊屋伝兵衛につづいて「株高九〇石酒造米一六二〇石 菊屋貞蔵」と記される。酒札の「菊貞」も伊勢町八田家にゆかりあるものと考えてよかろう。
これまでにわかっている商品札は、上田・小諸・高遠・飯田の城下町、中山道や伊那街道の宿場町、伊那郡下の村々のものが資料の数や種類ともに豊富である。いっぽう、長野市域あるいは北信濃地域では商品札が発見されていなかった。このため北信濃では商品札の使用慣行がなかったと考えられてきた。しかし、北信濃の松代城下町や善光寺門前でも商品札があることから、城下町や門前町など人びとが集う土地ではどこでも商品札は使用されていたといえよう。