犀川・煤鼻川・浅川流域の被害

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犀川は、千曲川よりはるかに流量が多いが、千曲川に合流するので支流とされている。犀川流域の小松原村(篠ノ井)、四ッ屋村(川中島町)から川合村・真島村(更北真島町)にいたる村々と、小市(こいち)村(安茂里)、市村(芹田)から大豆島(まめじま)村(大豆島)にいたる村々は、水害常襲地域であった。

 犀川流域は、上流域では戌の満水の被害が少なかったといわれているが、犀川末流域の長野市域村々は、石高損毛率が高い。大豆島村・四ッ屋村・真島村三ヵ村は、損毛率が六六から七六パーセントと高く、石砂入りは少ないが川欠けによる永荒れが多い。小松原村、青木島村(更北青木島町)、市村三ヵ村は、損毛率が五〇から五三パーセントで石砂入りがなく、小松原村を除くと一毛(いっけ)損毛が少ないことから、浸水の範囲が狭かったと考えられる。千曲川合流点付近の川合村・真島村は、川欠け、田畑の石砂入り被害があった。流死者は、川合村が八一人、真島村が一一七人を数え、建物被害も川合村が流れ家五一軒、真島村が九九軒と多く、千曲川の濁流と犀川の激流が相乗的に被害を拡大したとみられる(表4)。


表4 犀川・裾花川・浅川流域の寛保2年(1742)石高損毛(松代領)

 煤鼻(すすばな)川(裾花川)は、山地を出てから犀川に合流するまでの流路が短い荒れ川である。煤鼻川から農業用水を取水する用水堰(せぎ)の流域は、石高損毛率が五〇パーセントをこえる被害をうけ、中御所村(中御所)では居屋敷へ煤鼻川の水が押しこんだ。窪寺(くぼでら)村(安茂里)でも水除けが押しきられている。そのほか岡田村(中御所)も諸所を押しきられており、南俣(みなみまた)村・千田村(芹田)が砂入り被害をうけた。堰筋の中・下流域では、南長池村(古牧)、北長池村(朝陽)、風間村(大豆島)が浸水による一毛損毛が多く、上高田村・北高田村(古牧)、北尾張部村(朝陽)では田畑に石砂が入った。北高田村は建物一四軒が被害をうけている。

 浅川は、山地から平地までの流路が短く、平地の流路が長い荒れ川である。浅河原とよばれる流域の村々は、石高損毛率が五〇パーセントをこえており、一毛損毛も多い。吉田村(吉田)、南堀村(朝陽)は、浅川が吉田村の土手を押しきったため、石砂入りの被害をうけた。そのほか檀田(まゆみだ)村(若槻)も田畑に浸水し、流死者が三人、建物被害が六軒あった。浅川上流域の北郷村(浅川)は、飯縄(いいずな)山山腹の傾斜地に田畑がひらかれた村で、豪雨の影響による山抜けが起こり、石高損毛率が五二パーセント、流死者が一人、建物三軒が被害をうけた。

 煤鼻川上流域の沢筋にひらけた小鍋(こなべ)村(小田切)は、地すべりが起きやすい地層のため、一毛損毛が少ないが山抜けなどによる石高損毛率が五〇パーセントであった。上ヶ屋(あげや)村・入山(いりやま)村・広瀬村・桜村・泉平村五ヵ村(芋井)は、山抜けのほか用水堰抜け落ちが起こって、田畑が砂入り・押し払いの被害をうけた。広瀬村・入山村は、建物七軒が潰れ家となるなど、豪雨による被害は山間地にもおよんだ。