文政十年(一八二七)に第九代木村庄之助が幕府に差しだした『先祖書』には、木村庄之助の先祖は、中立羽左衛門清重といって、真田家の元家臣であるという(中村倭夫『信濃力士伝』)。信州に足跡を多く残しているのが寛政から文政年間(一七八九~一八三〇)に活躍した八代目木村庄之助正武である。各所の若者組への祭礼相撲に行司免許をあたえている。その資格は「本朝相撲司行司御行司 吉田豊後守(ぶんごのかみ)追風十九代 藪二位左中将殿下 木村若狭守(わかさのかみ)正規 日本行司目付 五条殿家 木村庄之助正武」としている。
更級郡田野口村(信更町)清水神社には、文化十四年(一八一七)の行司軍配と四本柱土俵の奉納額が現存している(写真29)。行司軍配奉納額には軍配を真ん中に配し、上に「奉納永代」と大書し、右に「日本角力行事目付 願主五条殿家木村庄之助正武(花押) 相撲行事」、左に 「古実軍配 目代 行司 木村八蔵 木村清八郎 文化十四丑(うし)年孟穐(もうしゅう)(七月)吉陽日 世話人小林勇七源営奨(花押)」とある。四本柱土俵奉納額には「奉納 永々相撲四本柱土俵古実式 本朝相撲行司吉田豊後守追風十九代行司木村清治郎 木村三蔵 木村源五郎 木村文七 角力清水川民五郎 当所世話人総産子中(うぶこちゅう) 西村源五左衛門 宮下佐源太 永井半左衛門 松代世話人中村金作・米山弥左衛門 五条殿家木村庄之助正武(花押) 当所願主小林勇七 源営奨(花押)」と書かれている(『田野口区史』)。同村に清水川民五郎という力士がいたこともわかる。
文政三年八月に、尾張神社(朝陽)へ木村庄之助より永世相撲辻請(つじうけ)免許が寄付された。これを仲介した善光寺町海老屋(えびや)三治(横沢三治)は、角力を尾張神社で神前興行できるようにしたいので、北尾張部若衆中へ、稽古にかこつけて農業のじゃまにならないようにすることはもちろん、遊興がましき儀もないように慎みながら、神祭りのほかは相かかわらず、家業出精(かぎょうしゅっせい)するという条件で相撲免許を寄付しますという証書を出している(『県史』⑦一八五八)。同年九月には八代目木村庄之助から同村の木村民之助へ草相撲行司免許があたえられている(『朝陽村誌』)。