下野(しもつけ)国(栃木県)に生まれた村上英俊(えいしゅん)は、江戸に出て漢学、医学を修学後、美作(みまさか)(岡山県)津山藩医宇田川榕庵(うだがわようあん)にしたがい蘭方医学を学んだ。妹が松代藩主幸貫の嫡子幸良(ゆきよし)に仕えることになり、松代に来て町医として開業した。妹がのちの九代藩主幸教(ゆきのり)を産むことになり藩医にとりたてられた。藩にフランス文化の本があったので、佐久間象山のすすめもあり、仏学(フランス語による勉強)を独学ではじめた。
嘉永四年(一八五一)、江戸に出て仏学の研究をすすめ、『三語便覧』、(嘉永七年)、『洋学捷径(しょうけい)』(安政二年)などを著し、安政五年(一八五八)には幕府蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授方に取り立てられた。わが国のフランス学は村上英俊に始まるといっても過言ではない。とくに『三語便覧』は、フランス語・英語・オランダ語の三ヵ国対照辞書で、刊本としてはわが国最初のものである。