善光寺以外の近世に建てられた建造物のうち、国・県指定文化財になっているものをみよう。松代地区に集中している。以下、『長野県史』美術建築資料編・建築および『長野市の文化財』によって記す。まず、真田家の霊屋(たまや)が四件ある。
真田信重(のぶしげ)霊屋(重要文化財)は、松代町西条の西楽寺にある。真田信重は初代松代藩主真田信之(のぶゆき)の三男で、正保(しょうほう)四年(一六四七)に病死した。霊屋は慶安元年(一六四八)中に完成していたと考えられる。
方三間、一重の宝形(ほうぎょう)造りで、四周に回り縁、前面に一間の向拝(ごはい)がつく。屋根は杮(こけら)葺き。向拝は、几帳面(きちょうめん)取り角柱を虹梁(こうりょう)でつなぎ、その左右は絵様木鼻(きばな)、組物は実肘木(さねひじき)つきの連三斗(つれみつと)、中備(なかぞなえ)は桃の彫刻入りの本蟇股(ほんかえるまた)。主屋(おもや)とのつなぎには菊の浮彫りをほどこした手挟(たばさみ)を用いる。主屋は、正面中央に花狭間(はなざま)つき桟唐戸(さんからど)をつり、左右は連子窓(れんじまど)。柱は粽(ちまき)つき(柱の上下を丸くすぼめる)の円柱に禅宗様頭貫(かしらぬき)・木鼻(きばな)・台輪(だいわ)を用い、組物は実肘木(さねひじき)と拳鼻(こぶしばな)つきの出組(でぐみ)、中備は正面中の間は本蟇股、そのほかは蓑束(みのづか)。軒は一軒(ひとのき)の繁垂木(しげたるき)。軸部材は黒漆(うるし)塗り、頭貫・台輪などには文様彩色をほどこす。
内部の間取りは、前方一間を外陣(げじん)、後方二間を内陣(ないじん)とし、その境は中敷居を入れ、格子戸で仕切る。その境の上部の架構だが、内陣がわの中備の詰組において、肘木が四五度方向斜めに出る。非常に珍しくこの形は中国古建築に見られる。内陣の奥に禅宗様の須弥壇(しゅみだん)を設け、中央に阿弥陀如来、その左右に信重と夫人の位牌(いはい)を安置する。外陣の天井は鏡天井に天女の絵を極彩色で描き、内陣は格(ごう)天井。柱は黒漆および漆箔(しっぱく)、長押(なげし)・頭貫・台輪には霊亀(れいき)・山鵲(さんじゃく)・牡丹(ぼたん)・菊などの豪華な文様彩色をし、内陣の壁には正面中央に大和絵で蓮華(れんげ)に迦陵頻伽(かりょうびんが)、ほかは松に鷹(たか)を描く。
信重霊屋は、様式の細部や室内装飾に桃山様式を残し、地方色は少ない。寛永元年(一六二四)に建てられた信之夫人の霊屋(後述)の建築には和泉(いずみ)国堺(さかい)(大阪府堺市)の大工がきているが、この信重霊屋も上方(かみがた)大工の手になるものと考えられている。