真田信之霊屋

610 ~ 612

松代町の長国寺に真田家歴代の霊屋(たまや)と墓所がある。長国寺は山号を真田山(しんでんざん)と称する曹洞宗寺院で、上田時代から真田家の菩提寺(ぼだいじ)だった。元和(げんな)八年(一六二二)の松代移封(いほう)のさい松代城下に移された。初代藩主から四代までと三代藩主の母の霊屋の五棟があったが、明治以降に三棟がほかへ移され、霊屋のまま長国寺に現存するのは初代信之(のぶゆき)と四代信弘(のぶひろ)のものである。

 初代信之は明暦二年(一六五六)藩主を辞し、万治元年(一六五八)柴(しば)村(松代町柴)の隠居所で九三年の生涯を閉じた。信之開基の柴村大鋒寺(だいほうじ)に葬られたが、万治三年長国寺に霊屋が造営された。信之霊屋は宝殿と表門からなる(重要文化財)。

 宝殿は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)四間、入母屋(いりもや)造り、平入(ひらいり)、杮(こけら)葺きで、向拝(ごはい)一間があり、正面屋根に千鳥破風(ちどりはふ)、向拝に唐(から)破風がつく。向拝は几帳面(きちょうめん)取りの角柱で礎盤(そばん)・粽(ちまき)つき、組物は連三斗(みつと)、頭貫(かしらぬき)を虹梁(こうりょう)形とする。木鼻(正面・唐獅子(からじし)と側面麒麟(きりん))・持送り・手挟(たばさみ)は籠彫(かごほ)り(丸彫りと透かし彫りとを重ね合わせたような技法で、内側まで立体的に彫りあげる)である。主屋(おもや)は円柱(床下は八角)で、足固貫(あしがためぬき)、内法(うちのり)貫、飛(ひ)貫を通し、頭貫・台輪はともに木鼻(きばな)つきで、縁長押(えんなげし)・内法長押を打ち、四周に縁をめぐらす。正面中央の間は桟唐戸(さんからど)、ほかは嵌殺(はめごろ)し舞良戸(まいらど)(内がわは襖(ふすま))で、欄間に彫刻。柱上は禅宗様出組(でぐみ)・詰(つめ)組、軒は二軒(ふたのき)の繁垂木(しげたるき)。妻飾りはすべて虹梁・大瓶束(たいへいづか)でまわりを彫刻で埋め、破風・前包(まえつつみ)には飾り金具を打つ。内部は格子戸で内外陣を分け、ともに畳敷き。内陣奥に禅宗様須弥壇(しゅみだん)をおいて位牌(いはい)を安置する。柱上に禅宗様出組斗栱(ときょう)をおき、格天井である。


図16 真田信之霊屋宝殿平面図
  (『県史』美術建築資料編)

 表門は、切妻造り、四脚門、黒漆塗り。親柱は円柱、控(ひかえ)柱は几帳面取りの角柱で、ともに礎盤・粽(ちまき)がある。頭貫は正面・側面とも虹梁形で木鼻をつけ、組物は連三斗(みつと)、虹梁中央に平三斗をおく。親柱筋の冠木(かぶき)上中央では板蟇股(いたかえるまた)と三斗で通し肘木(ひじき)をうけ、その上にまた板蟇股をおいて棟木を支える。妻も虹梁上に板蟇股をおき、斗(と)と肘木で棟木をうける。懸魚(げぎょ)は鰭(ひれ)つきの蕪(かぶら)懸魚である。

 真田家の霊廟(れいびょう)はいずれも華麗だが、この信之霊屋は木部はすべて漆塗りで彩色をほどこし、柱は金箔、妻飾りや欄間などには彫刻を入れ、ことに華やかである。とくに正面千鳥破風の鶴の彫刻の妻飾りはみごとである。