真田信弘霊屋および表門

612 ~ 613

四代藩主真田信弘(のぶひろ)は元文(げんぶん)元年(一七三六)十二月、松代で死去した。翌二年に長国寺に霊屋と表門が建てられた(県宝)。信之霊屋の南隣にある(『市誌』③二章一節参照)。

 霊屋は方三間の宝形(ほうぎょう)造り、杮(こけら)葺き、四周には擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)つきの回り縁がめぐり、向拝(ごはい)一間がつく。向拝は几帳面取り角柱を石造礎盤の上に立て、虹梁でつなぎ、木鼻に象の彫刻がつく。組物は実肘木つきの連三斗、中備は六文銭(ろくもんせん)を浮き彫りした本蟇股(ほんかえるまた)。主屋とは海老虹梁(えびこうりょう)でつなぎ、上に雲形を彫った手挟(たばさみ)をつける。

 主屋外部は、粽(ちまき)つきの円柱を切石礎石の上に立て、頭貫と台輪でつなぎ、組物は三斗、中備は中央柱間(はしらま)が詰組(つめぐみ)、左右柱間は絵様蟇股。壁面は正面中央間に桟唐戸(さんからど)をつり、それ以外は縦桟(たてさん)の舞良戸(まいらど)を嵌殺(はめごろ)しとしている。正面入り口上には菊唐草の欄間(らんま)彫刻がある。軒は、向拝も主屋も二軒(ふたのき)の繁垂木(しげたるき)である。以上の外部部材のうち蟇股・木鼻・手挟は極彩色、ほかは黒漆塗り。装飾は信之霊屋とくらべるとずいぶん簡素で少ない。

 内部は前後を二等分して内外陣に分け、その境は中央柱間に格子戸を立て、左右は格子戸を嵌殺しにしている。内陣の正面には禅宗様の須弥壇(しゅみだん)をおき、うしろの壁面に花頭窓(かとうまど)を設け、その奥が信弘の位牌壇になっている。柱・組物は外部とほぼ同形式だが、塗装は異なる。外陣柱は黒漆塗り、内外陣境の柱と内陣内の柱は漆箔(しっぱく)で、頂部に金襴巻(きんらんまき)の文様を描く。長押(なげし)・鴨居(かもい)などは溜(ため)塗り、内外陣境の欄間には鳳凰(ほうおう)の極彩色の彫刻がある。天井は内陣に鳳凰、外陣に龍の墨絵を描き、内法(うちのり)長押下の壁に花鳥画を描く。

 表門は一間四脚門(しきゃくもん)(棟は本柱筋からずれる)で、切妻造り、杮(こけら)葺き。棟木を大きな板蟇股と斗で支え、軒は一軒(ひとのき)の疎垂木(まばらたるき)である。軸部全体が黒漆塗りである。