長国寺開山堂(真田幸道霊屋)

613 ~ 613

長国寺は明治五年(一八七二)の大火で焼失し、明治十九年に再建された。このとき真田家は再建を助け、旧文武学校の槍術(そうじゅつ)場を移して庫裏(くり)に改造し、境内にあった三代藩主幸道(ゆきみち)の霊屋を本堂のすぐうしろに移して開山堂とした(県宝)。もとの幸道霊屋は、彼が享保十二年(一七二七)五月に病死したあと、まもなく建てられたと思われる。開山堂として移築のさい、側面・背面の縁(えん)と前面の向拝が撤去され、屋根は杮葺きから桟瓦(さんがわら)葺きにかわったが、それ以外はほぼ霊屋の様式を保っている。

 信弘の霊屋と同様に方三間の宝形造りで、外部の様式は信弘霊屋とほぼ同一である。正面の欄間彫刻は蓮唐草。外部の部材のうち彫刻は極彩色、ほかは黒漆塗りであるが、いずれも退色、剥落がいちじるしい。内部の間取りは、これも信弘霊屋と同じく内外陣に二等分され、内外陣とも畳敷き。内陣床のほうが框(かまち)一段高い。天井は内外陣とも新しい竿縁(さおぶち)天井にかえられている。塗装は内陣柱が漆箔(しっぱく)で、頂部には金襴巻(きんらんまき)文様を極彩色で描く。外陣柱や内外陣境の長押・台輪は溜塗り、そのほかの部材は黒漆塗り。内外陣境の頭貫下には極彩色の欄間彫刻があり、中央間は天女、脇間は孔雀(くじゃく)。内陣正面には禅宗様の須弥壇があり、今はその上に開山像がおかれている。

 外部では正面欄間の蓮唐草の彫刻、内部では天女と孔雀の欄間彫刻をはじめ漆塗り・彩色などに、一八世紀前期の霊廟建築らしい面影が残されている(『市誌』③二章一節参照)。