開善寺経蔵

615 ~ 616

開善寺は松代町西条にある真言宗智山派の寺院である。真田信之が松代に移封されたとき、海野(うんの)(小県郡東部町)の白鳥神社を氏神として移すのと同時に、その別当寺(べっとうでら)として開善寺も移された。いらい、真田家および家中の祈願寺となった。経蔵は万治三年(一六六〇)に造営され、大工は三河(みかわ)国吉田(愛知県豊橋市)出身の石原徳左衛門宗吉であったことが、棟札写(むねふだうつし)と墨書銘(ぼくしょめい)で知られる。


図17 開善寺経蔵平面図
  (『県史』美術建築資料編)

 経蔵の形式は方三間、宝形(ほうぎょう)造り、茅葺(かやぶ)きの主屋に、吹き放しの裳階(もこし)がつく。裳階は現在桟瓦(さんがわら)葺きだが、もとは杮(こけら)葺きだったと思われる。主屋も裳階も板張りで、主屋の中央に輪蔵(りんぞう)が置かれている。正面中央に桟唐戸(さんからど)をつり、左右は連子窓、ほかは板壁である。

 主屋は、粽(きまき)つきの円柱上に禅宗様木鼻つきの頭貫(かしらぬき)と台輪を置き、組物は実肘木(さねひじき)・拳鼻(こぶしばな)つきの禅宗様出組である。中備は中央の間が詰組(つめぐみ)、脇間が蓑束(みのづか)を用いる。隅の組物のなかに象の頭の彫刻がついている。軒は一軒(ひとのき)の繁垂木(しげたるき)。主屋の外部は、柱などの軸部材を黒漆塗りとし、象の彫刻には彩色をほどこした跡がある。主屋内部は白木造りで、格(ごう)天井を張るだけの簡素な造りである。裳階も白木造りで、面取り角柱、頭貫に絵様木鼻をつけ、組物は実肘木つき三斗(みつと)、化粧屋根裏で、これも簡素な仕立てである。

 輪蔵は、禅宗様の須弥壇(しゅみだん)の上に回転用の腕木のついた縁(えん)を設け、その上に輪蔵本体をおく。輪蔵は周囲に縁をつけ、縁を二手先組物で支える。柱は円柱で、下に礎盤をおき、組物は実肘木つき三斗、軒は二軒(ふたのき)繁垂木。八角形のそれぞれの辺に桟唐戸を立てる。黒漆塗りで、木鼻などには彩色をほどこす。

 輪蔵を安置した経蔵としては、信濃最古のものである。全体にすぐれたつくりで、江戸前期の様式的特徴をよくしめしている。