林正寺本堂および表門(旧真田信政霊屋)

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松代町清野の林正寺(りんしょうじ)は、天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)から存在したとされる浄土宗寺院で、真田家とも関係が深い。現在の本堂および表門は、昭和二十七年(一九五二)に長国寺にあった二代藩主真田信政(のぶまさ)の霊屋を移築したものである。信政は万治元年(一六五八)二月に死去したが、霊屋は父の信之と同じ万治三年に建てられている。

 本堂は、間口三間、奥行き四間、入母屋(いりもや)造り、平入(ひらいり)で、正面に一間の向拝(ごはい)をつける。向拝に軒唐破風(のきからはふ)、その背後に千鳥破風がつく。屋根は今は桟瓦葺(さんかわらぶ)きだが、当初は信之霊屋と同じく杮(こけら)葺きであったようである。内部は二等分して内陣・外陣とし、その境には当初中敷居を入れ、内陣のほうが一段高くなっていた。内陣の正面には禅宗様の須弥壇(しゅみだん)を設け、位牌(いはい)壇が外部に突きでた形で設けられている。

 向拝は几帳面(きちょうめん)取り角柱を石造礎の上に立て、虹梁(こうりょう)でつなぎ、その両端の支えには唐獅子(からじし)、木鼻(きばな)には獏(ばく)の彫刻がある。柱上には実肘木(さねひじき)つき出三斗(でみつと)をおき、虹梁上にも菖蒲桁(しょうぶけた)を支える同じ出三斗、中央の中備には唐獅子の彫刻をおく。唐破風内部には虹梁上に六文銭を浮き彫りした本蟇股(ほんかえるまた)をおいている。計四個ある手挟(たばさみ)は、外側に牡丹、内側に菊の彫刻を用いる。

 主屋は粽(ちまき)つき円柱を頭貫・台輪でつなぎ、組物は禅宗様出組の詰組で、軒は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)である。正面は中央に桟唐戸を立て、水鳥・菊水などの欄間彫刻がある。外部では彫刻は極彩色、ほかは黒漆塗り。内部では、柱や組物は外部と同じだが、柱は漆塗りで上部に金襴巻(きんらんまき)を描き、頭貫・台輪・組物などにも文様彩色をほどこす。天井は、外陣では格天井に極彩色の種々の鳥、内陣では鏡天井に天女が描かれている。内外陣境の欄間には天人の彫刻がある。これらの内部装飾は江戸前期らしい豪華なものである。

 表門は、棟下の柱は円柱、前後は几帳面取りの角柱、その上の三斗で虹梁を支え、そこに大瓶束(たいへいづか)を立てて棟木を支える。前後の中備は本蟇股で、松に鷹の彫刻。軒は二軒繁垂木。軸部は黒漆塗り、蟇股は極彩色である。


写真10 林正寺本堂(旧真田信政霊屋、県宝)
  (松代町清野)