長野市域にある石造物のなかでも、道祖神碑は現在でも私たちの生活と結びつきの深い石造物である。その関係はとくに正月十五日におこなわれる小正月の行事のなかであらわれる。
市域では正月十五日の小正月に道祖神の祭りをおこなうところが多い。道祖神の祭りはドンド焼きに代表されるが、ドンド焼きだけではなくそれに付随する形で特有な祭りをおこなっている地域もみられる(『市誌』⑩民俗編)。そのなかでとくに道祖神の石碑との関連が深い祭りについてみてみよう。
若穂地区では、小正月にヌルデの木でつくった人形を道祖神碑の前に供える習俗がみられる。この習俗は善光寺平をへだてた市域西部の小田切地区にも残されている。小田切地区では同じように人形にヌルデの木を用いるが、若穂地区とは人形の形態が異なっている。これらの人形は両地区とも男女一対にして供えられるが、若穂地区では結婚を望む家が嫁なら女の人形、婿なら男の人形を人知れず供えるというように縁結びの神として道祖神が信仰されている。小田切地区では男女二体のほか、チューニン(仲人)、ニショイなどとよばれる人形もあわせて供えられ、結婚という形がより強く強調される形になっている(『市誌』⑩)。
小田切地区は文字の道祖神碑が多いが、若穂地区には先にみたように双体道祖神碑が多くを占めることから、石碑にあらわれた男女のむつまじい姿に、縁結びのご利益を発想し、このような習俗を生んだものと思われる。若穂綿内山新田(やましんでん)集落の上組でも小正月に人形道祖神を道祖神碑の前に供えるが、ここの道祖神碑は石の祠(ほこら)があるだけで肝心の石碑は失われている。古老の話によると、山新田集落は峠をへだてて南の保科高岡、北の須坂市の上八町と付き合いが深く、結婚もかつてはこの三集落の人同士でおこなわれることが多かったが、なかには周囲の反対でなかなか結婚できないこともあった。そんなとき、とくに相手が他所の集落の場合は、相手の集落の道祖神碑を人知れないあいだに盗み、自分の集落へ持ちこんで、道祖神同士が婚礼したのだからといって、自分たちの結婚を認めさせるということがおこなわれたという。盗まれた道祖神碑は婚礼が無事済むと、人知れぬあいだに元に戻される。山新田上組の道祖神碑もそのようなことで盗まれたが、婚礼がうまくいかなかったのかどうか、それっきり帰ってこなかったため、現在のような祠だけのものとなったそうである。道祖神盗みの習俗は松本平で聞かれるが、市域では山新田のほかこのような例はないようである。