『長野県町村誌』からみた四郡の特色

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近世後期の長野市域の商業的農業を概観するために、『町村誌』(北信篇・東信篇。明治六年(一八七三)ころから同十五年ころの村況)から市域をふくむ更級・埴科・水内・高井四郡のおもな産物を拾いだしてみよう。それによれば、松代領の「山中(さんちゅう)」をふくむ地域ではおもに紙・茶・材木が主産物であり、「里郷(さとごう)」をふくむ地域では実綿(じつめん)・生糸・絹や木綿(もめん)織物が主産物となっている。しかし、たとえば更級郡の田野口・氷ノ田(ひのた)・赤田・三水(さみず)・安庭(やすにわ)村(信更町)や有旅(うたび)村(篠ノ井)などは、生糸生産は二〇貫二四〇匁であるが、皮楮(かわこうぞ)は八三二〇貫六〇〇匁となっているなど、かならずしも山中と里郷とで主産物が明確に分かれているわけではない。

 これらのうち養蚕・製糸業と綿・木綿布生産について表1をみると、蚕種(さんたね)・繭(まゆ)・生糸は上・下水内郡が他郡にくらべてやや低く、実綿と木綿は下水内郡と下高井郡がやや低いといえる。これと天保二年(一八三一)の松代領内の木綿師と繭仲買人(まゆなかがいにん)の分布を示す図1とを見くらべてみると、図1ではおよそ善光寺を中心にして犀川と千曲川の合流点から下流に木綿師が多く、千曲川の松代より上流地域には繭仲買人が多く、また図示していないが下高井・更級・埴科郡は紬(つむぎ)生産地帯であり、『町村誌』の記載とほぼ照応している。


表1 北信6郡の養蚕・綿関係産物


図1 松代領内の諸産業従事者数(天保2年(1831)現在)

 つまり『町村誌』に記されている市域の産物は、近世後期のそれをほぼあらわしているとみてよい。