国民の教化と教導職

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幕府を倒して政権をにぎった明治新政府は、国民を天皇に心服させることの必要を痛感していた。維新(いしん)のスローガンは「王政復古」であり、政権の唯一の基盤は天皇の尊厳性であったので、純粋な古代の政治制度の復古を主張する国学者の主張で、祭政一致の政体が明治二年(一八六九)に誕生し、行政担当の太政官(だじょうかん)と並んで神祇官(じんぎかん)が置かれた。さらにこの二年には平田派の国学者・神官(しんかん)のなかから宣教使(せんきょうし)が任命された。同年十月九日にいたってこの宣教使は、神祇官の所属となった。

 年が改まって明治三年一月三日の宣教使開講式にあたり、「大教宣布」の詔勅が発せられた。大教宣布の要旨は「神明を敬うこと、人倫を明らかにすること、国民が心を正しくし職を全うし朝廷に仕えること」の三つであった。宣教使は大教宣布を推進する官職であったのである。三年三月に太政官は、諸藩に対し宣教使にふさわしいしかるべき人材の推薦(すいせん)を指示した。

 また、明治三年十一月には太政官達(たっし)で、大教を宣布するのは知事や参事の仕事であるが、官員以外のものを「宣教掛(かかり)」に任命し宣教に専念させることもよいが、待遇は人材により「参事か属」に準ずる扱いをせよと布達した。奏任官以上の人材の任命は太政官に伺って発令する規定であったので、参事・属は知事につぐ高位の官位であり、政治組織のなかで国民を教化していこうとする方針であった。政府は同四年七月四日、諸藩に対し大教の趣旨について通達した。この一〇日後の七月十四日に廃藩置県がおこなわれたが、廃藩置県後の新体制のなかでも、上田県・高島県は「宣教掛」を一人ずつ置いている。

 神祇官は政府部内の新知識官僚の進出により勢力を失い、四年七月二十九日の太政官官制改革で神祇省に格下げとなり、翌五年にはさらに寺社の廃立なども扱う宗教行政の教部省に改められ、宣教使も廃止され初期の目的が後退してしまった。

 新設の教部省は宣教使の後継として、明治五年四月二十五日に教導職(きょうどうしょく)を設置した。これには仏教勢力も参加し、神道(しんとう)的色彩は後退している。三ヵ条の教憲により仏教勢力も動員して国民教化をはかったのである。三ヵ条の教憲というのは、①敬神愛国の旨(むね)を体すべきこと、②天理人道を明らかにすべきこと、③皇上を奉戴し朝旨(ちょうし)を遵守すべきこと、である。大教宣布と類似する内容であるが、仏教信仰でも解釈できる幅のある趣旨であった。

 教導職の組織化のために「教導職等級表」が定められ、教正(きょうせい)・講義(こうぎ)・訓導(くんどう)の三階級に区分して任命がおこなわれた。教正は大中小に分かれ、大中小はそれぞれ正・権(ごん)に区別されていたから、都合六階級である。講義は教正と同様であったが、訓導は正・権のほか一四級までに細分化して等級をつけた。待遇は教正が勅任官、大講義以下は判任官であり、かなりの優遇措置である。明治五年三月に教部省は東京に大教院を設置し、県庁所在地には中教院を置き、神社や寺院を小教院として位置づけた。教化の第一線をになう教導職には、神官と僧侶が任命された。長野県教導職の取り締まりには、墨坂神社(須坂市)の神官宮崎信友が任命された。

 教導職の教化運動は、小教院と説教所でおこなわれた。寺院がそのまま小教院になるのではなく、教部省に設立を伺わなければならない規定であった。小教院や説教所には世話係が置かれたが、それは神官・僧侶ではなく区長・副区長が斡旋(あっせん)した人物である。説教所は大区ごとに三ヵ所ほどが設けられたが、大区は現在の郡程度の広さであるから、それほどきめこまかく設けられたわけではない。

 教導実施上では、最初に三ヵ条の教憲を口誦(こうしょう)し、それから教導職の講説が始められた。仏教寺院の場合は中教院のように皇太神宮が祭ってはないが、神はどこにもおられるのだから、という前置きをしてから話に入った。小教院は月三回の講説開催を命じられていたが、実際には月一回程度であった。

 広告された日時刻限に説教が開講されなかったということがままあったようで、県官から広告したことはきっと守るようにという戒告が発せられている。説教内容については、仏教の攻撃をしないこと、自宗の宣伝をしないことなど、心得一四ヵ条の触れが発せられている。

 長野県教導職中講義の宮崎信友が、県下を巡回した記録によれば、一ヵ所で三日間は開講している。上位の教導職は県下各地に巡回教導をおこない、大区単位で年一回は開講した。著名な教導職は問題がなかったのであるが、地方の神職で教導職試補に任命されたものの、記録を見ると、最初に「三ヵ条の教憲」を読みあげ、ついで説教しているがしどろもどろの説教で、同僚からももう少し勉強するように忠告されたさまが、くわしく書かれている。