架橋とその修繕事業

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道路整備にともない、橋梁(きょうりょう)の架け替(かけか)え・修繕の工事も活発につづけられた。その件数は主なものだけでも、三十三年に六件、三十四年に一件、三十五年に三件、三十八年に五件に達した。大きなものとしては三十三年度の新町街道・大町街道の除沢橋、三十五年の丹波島橋であった。

 これより先明治二十三年に初めて架設された丹波島橋は、板橋全長五四六メートル、幅五・四メートル、工事費一万六二六五円余で、地元負担で架橋し、渡し銭をとって運営をしていた。そこで県は、同じく有料橋であった篠ノ井橋とともに、三十年の県議会の建議にもとづき県有化して、無料橋とした。しかし、丹波島橋は腐朽(ふきゅう)がはなはだしかったため、三十三年六月から新式の杭(くい)打ち機械を使って工事を進めて、三十四年一月二十三日に落成をみた。全長は旧橋と同じく五四六メートルあり、幅は一・四メートル狭く四メートルとなったが、材料に有名な小諸産の松材を用いたので堅牢(けんろう)であった。


写真28 青木島からみた丹波島橋
(上田市・若林資料館所蔵)

 県道須坂街道の千曲川に架設した布野舟橋は、生糸の産地である須坂への生繭の輸送上からも重要視されていたが、洪水ごとに橋材の流失をおそれての撤去作業をくりかえさざるを得ず、年数回の交通途絶をきたしていた。そこで、地域住民の同舟橋の県費移管への強い要望にこたえて、三十八年県費による同橋の買収が実現した。その他、現長野市域における各街道の橋梁架け替えなどの工事は、表48のように各地で継続的に実施された。


表48 明治30年代現長野市域の橋梁架け替え等の状況