仏教界の動向

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日露戦争後から長野市の都市化がすすみ、都市部の拡大にともない農村部から人口が流入した。都市部の人口の増加は、長野市の寺院の信徒数増加を引きおこした。農村の二、三男が長野市で一家を構えると、新たに都市部の寺院に自家の墓を新設するようになった。上水内郡鬼無里村の松厳寺は、壇家の家族の長野市への定住にともない、市内妻科に善松寺という末寺を創立した。

 明治四十二年(一九〇九)から昭和二年(一九二七)にかけて、仏教界全般では三〇寺院が廃止され、僧侶数も一〇〇人減少した。わずかながら人口の流動化が、火葬の盛行とも相まって、寺院の壇家の動向に変化を生じさせた。宗派別にみると浄土宗、臨済宗、黄檗(おうばく)宗寺院が減少し、浄土真宗寺院が増加している。

 明治前中期を通じて訴訟を繰りかえした大勧進(天台宗)と大本願(浄土宗)の善光寺運営をめぐる争いは、内務大臣品川弥二郎の仲介で一応の裁定をみて解決したが、明治末年になってもまだ細部であつれきがあった。明治四十年五月、善光寺別当大勧進副住職は、天台座主にたいし副住職職務執行にさいし、紫衣の着用特許を出願した。その理由は、大本願の幼少の徒弟が紫衣を着用しているので、両宗対等の権威保持の立場から、職階にかかわらず紫衣着用を許可してほしいというものであった。確執はあったが、両寺院は運営の実務に関して同調し、明治四十二年七月には、永代施餓鬼(せがき)料、永代供養料などの奉納額を協定して、長野警察署長に届けている。

 善光寺前立本尊は、明治三十九年四月に国宝に指定されたが、そのさい、所有者は大勧進とされた。明治四十四年長野県知事千葉貞幹は内務大臣原敬にあて、調査の結果本尊の所有は大勧進ではなく、「善光寺」とすべきだという「所有者名義訂正方上申」書を提出している。この問題はその後曲折があったが、けっきょく、所有者は善光寺、保管は大勧進ということでひとまず決着がつけられた。

 明治四十一年九月二十二日から十一月十日まで、長野市で「一府十県聯合共進会」が開催された。このとき全国宗教大会が開かれ、文書伝道・大道演説会がおこなわれた。これに触発されて、「仏都新報社」は明治四十二年二月に「仏教伝道会」を設立した。この会は、文書伝道・仏教演説・会堂の建設・社会的慈善事業・仏教学院の建設・宗教図書館の建設、日曜演説・伝道隊員の派遣などを事業の大綱に掲げている。


写真133 仏教伝道会の機関紙的役割もになった『仏都新報』 (東大明治新聞雑誌文庫所蔵)

 出獄者の保護も積極的におこなった福田会は、大勧進と大本願を筆頭発起人として、各宗の僧侶と有志慈善家によって設立されたものである。福田会は本部を長野市におき、全県的に支部組織をもっていた。信濃福田会保護部の第三回業績報告は、明治三十四年から五年間で、出獄者二九人を収容したがそのうち二七人は長野監獄(刑務所)、一人が長野監獄上田分監、一人が北海道集治監であり、保護部を出て再び犯罪を犯したものが五人であったことを明らかにしている。福田会の活動は、出征軍人家族の慰問や各宗派合同で国民後援仏教大演説会などを開いている。

 信濃福田会は明治四十一年十一月の評議員会で解散を評決した。日露戦争後の社会状況で会員の拡大ができず、負債がかさんだので解散を決議し、全県組織は解散した。この事業を引きついで、大正十二年(一九二三)に長野県仏教社会事業協会が設立された。そのめざしたところは、①民衆教化に関する件、②地方改善に関する件、③児童保護事業に関する件、④免囚保護事業に関する件、の四分野で、仏教伝道会の活動方針も継承した。

 日露戦争後の世相安定は、内務大臣招集の仏教・神道・キリスト教の「三教会同」という前代未聞の会議となり、宗教界は挙げて日露戦争後の社会安定の一翼をになうことになった。仏教界も伝道団体を組織し国内外の伝道を開始した。大本願を中心とする一二坊は明治四十四年十一月、教会連合寺院の設立を浄土宗管長に出願し、伝道団体「本誓教会」を設置した。事務所は大本願邸内におき、定期教会は毎月一日と二十五日に、定期法会は毎月十五日に開催し、一光三尊の如来の奉持と、教旨の伝道を開始した。宗旨や僧・俗人の別を問わず会員を募り、会費は一ヵ月一銭を集め、会員徽章や教会衆章を付けさせ、伝道意欲の増進と自覚を促している。

 日露戦争の勝利と朝鮮半島の植民地支配は、仏教界のアジアへの進出を促した。大正四年六月、浄土宗朝鮮教区開教使河野鉄鐙は、大本願に善光寺仏分身如来を朝鮮鎮海教会所に奉安するための誓約書を提出している。誓約書によると仏像の奉安は自由ではなく、大本願の許可なく勝手な振るまいをしないとか、大本願にたいする回向(えこう)料の奉献とか、細かく誓約されている。

 浄土宗北信教区布教団長大僧都准司教大宮智恵(大本願上人)は、大正四年十月に浄土宗北信教区布教団実施細則を発布している。この布教団は区内寺院の布教・法要の担当、本山や聖跡の巡礼奨励のほか、地方改良・感化教育・免囚保護、殖産興業に関する助力、就業者の紹介など、多方面にわたる事業を掲げている。また、この布教団の特殊事業として、軍隊・警察・鉄道員・郵便職員・監獄等、在郷軍人・青年会・婦人会・少年会、工場・店員・会社員・労働者・窮民集落への伝道を掲げている。地方改良とキリスト教会の伝道への対応がみられる。