キティ台風と裾花川の決壊

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昭和二十四年(一九四九)八月三十一日の夜来から東信地方を中心に全県を襲ったキティ台風の豪風雨は、千曲川沿岸一帯に大きな被害をもたらした。堤防の決壊三四ヵ所、橋の流失三七ヵ所をはじめ、床上浸水・床下浸水・倒半壊家屋等多数をだした。現長野市域関連郡市の被害状況は表31のようであった。


表31 現長野市域関係郡市のキティ台風被害状況 (24年9月2日現在)

 現長野地域に属する浸水被害耕地は川田村が約五〇ヘクタール、綿内村が約二八ヘクタールであった。

 更級郡の被害状況は、平和橋、粟佐橋、赤坂橋の流失、岩野橋、更埴橋の橋板撤去等があり、かなりの耕地が流失・冠水の被害を受けている。

 キティ台風の襲来後、二十四年九月二十二日夜来からの雨は二十三日にはいるとともに激しくなり県下一円が豪雨となった。雨量は南信の各地および、北信の上水内郡戸隠村、鬼無里村(一時間雨量二五〇ミリメートル)などが最も多く、そのために裾花川が増水、長野市内の堤防二ヵ所が決壊し、長野駅南一帯、上水内郡朝陽村、大豆島村が浸水した。このために信越線篠ノ井・長野間、長野電鉄の一部が不通となり、午後一〇時すぎまで列車運行は中止された。長野市においては、二十三日午前七時三〇分ごろ、九反地籍の裾花川堤防が約一〇〇メートル決壊して、濁流は瞬時に九反集落をひとなめにして、川合新田集落へ押しよせた。さらに、午前八時一五分ごろ約三〇〇メートル上流の岡田地籍の裾花橋を半分流して裾花堤防約三〇〇メートルをも押しくずし、岡田、中御所、七瀬方面に浸水した。そのため、長野駅構内は約一メートルの水深となり、列車は各線とも不通となった。そして午後一二時半ごろ岡田町の国鉄本部弓道場の横にあった堤防も約一〇〇メートル決壊し、付近二階建て民家一戸を流出、一戸を半壊し同弓道場を半壊した。しかし、消防団の必死の作業と午後からの減水で水は旧善白鉄道線路土堤によってさえぎられたので、それより北への水害の波及をくいとめることができた(表32)。


表32 9月23日豪雨の被災状況


写真62 昭和24年9月23日台風での裾花川堤防決壊による河川氾濫

 長野市では堤防の決壊とともに直ちに、救済本部を設け常設消防隊員二〇〇人、義勇消防隊員二〇〇人、市役所職員四〇〇人が出動、日赤奉仕隊、市内各区からの応援隊がぞくぞく繰りだして、炊きだし、飲料水の配給などの救援活動にあたった。このとき、長野市へは大豆島をはじめ近郷各村はもちろん、遠くは上水内郡信濃尻村(現信濃町)からの来援もあった。とくに、信濃尻村からはボート、和船約二〇そうが提供され、舟の操作に自信のある消防団員三〇人の来援があった。

 被災者は鍋屋田小学校、南部中学校、山王小学校、中御所分教場に収容した。市内の被災状況について、裾花川堤防の決壊で真っ先に濁流を受けた中御所鉄道官舎に在住する国鉄長野駅管理部係長は、「丁度朝食をとっていたときだ。近所の子どもたちが大水だ大水だとさわぐので外に出てみると土手越しに波頭がみえるので。〝これは切れるぞ〟と子どもと年寄りを避難させ、家財道具を片付け始めると、ドドドド……という物音で飛びだすと、橋のたもとあたりから突入した濁流が善白鉄道の土手にぶつかり、アッという間に住宅をのみ、家財を片付けるどころの騒ぎでなく、水はみるみる増すので戸じまりをして飛びだしたが、あたりは一面濁流の海、まごまごしていたらあぶないと思い裸になって胸までの水をわけて、鉄道線路に上り、線路沿いにみすず橋に上った。一一軒のうちどこ一軒として何一つ持ちださなかった。全く水足の早かったのには驚いた。しかし、この間の出水でも危険だと思っていた所だが、今朝も水防団はだれ一人出ているわけでなく水勢の思うに任せて決壊したのは遺憾だ」と語っている(『信毎』)。

 長野市の水害による被害は二十四日現在、死者三人、軽傷者八六人、家屋の全壊三八(うち流出二二)、半壊三七、床上浸水七二〇戸、床下浸水一二三五戸、また、耕地では水田冠水八五ヘクタール(流失一五ヘクタール)、畑が五八ヘクタール(流失五ヘクタール)で橋の流失は裾花橋ほか五ヵ所と発表された。


写真63 裾花川堤防決壊により、若里の鐘紡長野工場も浸水の被害
(カネボウ綿糸(株)所蔵)

 裾花川は、その後も全部決壊箇所に流れこんでいるため、浸水地帯全域が汚水にひたるというありさまであった。そこで、これを打開するために復旧対策本部(県・市・長野土木出張所)では、作業員五〇〇人と長野刑務所からの服役者を動員して、主流変更の復旧作業を昼夜兼行でつづけた。まず、郷路山から石を切りだして決壊口をふさぐ作業から始め、二十六日正午までには流れを本流に移すことができた。これには約一〇〇〇万円の資材を要した。また、決壊下流の長野市内の若里、荒木、川合新田、上水内郡の大豆島、朝陽、柳原、長沼各村の浸水地帯も四日目の二十六日にはようやく水から解放された。


写真61 昭和24年9月1日のキティ台風災害復旧関係帳簿

 いっぽう、上高井郡では村山鉄橋で約二メートルの増水のため、キテイ台風で決壊した日野村村山堤防に再び濁流がおしよせ、各町村消防団員による一〇〇〇余の土のうづみの防災作業もむなしく幅八〇メートルにわたる決壊口から、日野村、豊洲村の各集落に浸水し大きな被害があった。

 総じて、キテイ台風後の裾花川決壊等による長野市・上水内郡・上高井郡にわたる浸水等による被害額は大きくその概要はつぎのようであった。

 土木関係(七億三〇〇〇万円)、耕地関係(五億一六〇〇万円)、農作物関係(三億一二一九万円)、林務関係(三億一三〇〇万円)、計(一九億七一五六万円)、被災者数(二万七九〇人)(『信毎年鑑』)。

 昭和二十五年九月三日朝、室戸岬に上陸したジェーン台風の余波は三日夕方から夜にかけて瞬間風速二〇メートルほどの突風となって県下を通過した。そのため、県内ではりんごの落果被害を中心に四億円の被害を受け、長水更埴地方のりんご栽培地域では落ちりんごの処理におわれた。