東海北陸地区研究集会と長野市教育研究集会

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教員の現職教育は、戦後新方式の研究集会が加わっておこなわれた。昭和二十三年(一九四八)十月から一二週間文部省・CIE(連合軍総司令部民間教育情報局)主催のアイフェル(IFEL教育長指導主事講習)が東京都で開催され、第二回(昭和二十四年一~三月)以後続行された。各都道府県から試験選考の受講者が集まっておこなわれ、この講習の方式を米人講師は「ワークショップ」といった。まだ訳語がなく、通訳は仕事場で鉄を槌で打ちあうことだといった(受講者談)。参加者が互いに自分の問題をもちよって、討議し解決するやりかたであった。翌二十四年に地方で開催するとき、はじめて「研究集会」の用語が用いられ、『研究集会の手引き』が文部省から発行された。

 昭和二十四年文部省はCIE賛助で、全国を八大ブロックに分けて研究集会を計画し、第一回関東地区を埼玉県川越市(六月)で開催し、第二回東海北陸地区(中部七県)が長野市となった。会場は山王小学校で、七月十一日から十五日まで、二四〇人が参加しておこなわれた。表40はその日程である。


表40 東海北陸地区(中部7県)教育研究集会 (山王小学校昭和24年7月)

 このプログラムは、参加者が主体的に理解できる構成となっていて、公開授業(デモンストレーション)と授業研究・班別研究会が設けられている。授業は、教科書で教えるのでなく、新教科の社会科の単元学習を例に「導入・展開・終末」を三日間に集約してロングタイム(六〇分)で演示するもので、低・中・高学年の三クラスでおこなう。さらに、国語・算数の基礎学習や他の教科をショートタイム(三〇分)で実演して、新しいカリキュラムを示唆している。班別研究は、教科とガイダンス、視聴覚教育・学校図書館などの新領域と、校長・指導主事班に分かれて、新教育の全般にわたる周到な配慮がうかがえる。これにCIE米人講師の講義を加えて、そのテーマは現職教育・学校図書館・健康教育で、講義は討議の一部という考え方で立案され、受講者の討議によって問題を解決するプランになっている。この日程は、小学校研究集会の範型を示しており、レクリエーション(スクエアダンス・民謡など)まで用意されていて、従来の講習を一変する形式と、新教育を啓蒙する内容をそなえていた。

 参加者は、県外六県(福井・石川・富山・静岡・愛知・岐阜)から各二五人、会場県の長野県は五〇人であった。山王集会の概況は、『信濃教育通信』(信濃教育会発行)に五回にわたって連載し、受講者の「山王集会の所感」は、雑誌『信濃教育』へ投稿されて、苦悶していた新教育に光明があたえられたとのべている。

 研究集会が、新教育の理解と実践に効果的であり、これを教育の現場へ浸透させるために、各郡市はただちに全員参加の研究集会を計画した。昭和二十四年十一月の上高井・埴科の小学校教育研究集会、翌年二月まで初年度に県内二一会場で開催された。そのうち現長野市域で実施されたのは、表41の八会場であった。


表41 昭和24年度郡市研究集会の開催

 文部省・CIE主催の中等教育研究集会は、中部地区が岐阜市で昭和二十五年十一月八日から十四日まで開催され、その普及の集会が小学校研究集会と並行しておこなわれた。表42に示した長野市中学校の研究集会は、これを受けておこなわれている。


表42 昭和25・26年度秋季特別講習(研究集会+免許法認定講習)

 昭和二十四年度は、このような新教育普及のための研究集会が各地で開催され、同時に新しい「教育職員免許法」に基づく、免許状に必要な単位を取得する講習会が計画された。これを免許法認定講習といい、土曜・日曜・長期休業に開催して、二十五年から研究集会を認定講習に充当して、単位が取得できるものとして、「秋季特別講習」と名付けた。この講習は、免許の関係で県教育委員会の主催となり、運営は各郡市校長会・教育会があたった。

 長野市の秋季特別講習(研究集会)は、昭和二十五年に十一月三日から六日まで四日間、小学校の会場が鍋屋田小学校、中学校が柳町中学校であった。上水内郡は、二十四年度は小・中学校研究集会を一月十三日から十五日まで三日間、神郷小学校(現豊野西小)で開催し、二十五年度は平坦部中高地区で、十一月十二日から十五日まで四日間、若槻小・中学校で開催している。

 昭和二十四年に始まった新教育普及の研究集会は、このように二十五年から認定講習に充用され、連続三年間実施された。二十七年度からは教員組合との共催の「教研集会」となった。なお、研究集会はその後PTAも会員研修の方法として採用し、一般にひろがっていった。


写真75 秋季特別講習長野市小学校研究集会記録 (長野市教育会所蔵)