大合併直後の市政と市財政の課題

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昭和四十一年(一九六六)十月十六日の大合併で、長野市の人口は二六万九一六〇人となり、これまでの一七万二八〇〇余人から、九万六三〇〇余人の増加となった。これにより人口では全国五六〇市のうち、これまで七〇番目であったものが三二番目の都市となった。

 合併にともなう新市政が第一におこなう課題は、行政機構の合理化であった。しかし、この合併計画の過程のなかでどの市町村もおそれたのは、役場が支所となった場合、機構がバッサリと大なたをふるわれるのではないかという点であった。このため、会議のたびに「住民サービスを低下させるな」と強い要望がでていた。

 これを受けて、まず、役所の統廃合はいっさいおこなわず、機構の一部変更を除いて旧長野市以外の市町村役場は支所とするが、窓口事務はすべて今までどおりとした。新市役所本庁の機構は旧長野市の企画、総務、社会、経済、建設の各部と福祉事務所をそのまま引きついだ。いっぽう、他の旧市町村役場の企画、人事、給与、財政などの事務は本庁に集中することにした。


写真12 市の行政のなかで市民サービスに力が入れられる


写真13 待たせない市政目ざして市民サービス係が現場へ直行 (昭和46年10月『広報ながの』より)

 人事機構の面では、旧市町村の市町村長、助役、収入役、議員などの特別職をはじめ、諸委員などの扱いの問題があり、それらについては合併協議会の申しあわせにより、つぎのようにした。

①市長職務執行者は、夏目前長野市長(公職選挙法により合併後五〇日以内に選挙)

②議会議員は、前各市町村全員在任(四二年九月三〇日まで)

③参与は、前各市町村長、助役、収入役(四二年九月三〇日まで)

④支所長は、しばらくの間前各市町村長

⑤教育専門委員は、前各市町村教育長(四二年九月三〇日まで)

⑥農業委員は従来どおりで、教育委員会、選挙管理委員会、固定資産評価審査委員会は、いずれも正規の委員が決まるまでの間、臨時的に委員がおかれる

 合併後初の市長選挙は一ヵ月後の十一月十三日に投票がおこなわれた。この市長選の立候補者は夏目忠雄前長野市長(無所属五八歳)のほか、共産党北信地区委員長の山本和夫(四一歳)の二人であった。投票結果は夏目候補が七万七九五九票を獲得して当選したが、投票率は五九・〇一パーセントと低かった。

 新市の行政目標は、千曲川沿岸ベルト地帯の拠点都市として、県都にふさわしい近代的総合都市を建設することにあるとして、①産業基盤の整備、②市民福祉の向上改善、③教育文化施設の建設整備、を三本柱としてすすめることであった。これを実現するために立てた年次計画が、新長野市の「建設計画」である。

 市長選挙が終わると、新長野市の建設一〇年計画予算案(表5)が具体的に示された。この計画は大きく二つの柱で組みたてられ、①は、「A計画」として全市的な立場での事業であり、②は、「B・C計画」として地区の特性を盛りこんだ事業である。いずれも一〇年計画で総額約四四二億円にのぼるものであった。この二つのほかに、「特別会計」で用地開発、上水道、下水道、有線放送の一本化、葬祭事業などを盛りこんでいる。これらのための財源は、国庫支出金、市一般財源、県支出金、起債などを予定していた。


表5 新市建設10年計画予算案

 合併後の新長野市の予算は、旧八市町村の予算をそのまま引きついだもので、夏目市長職務執行者の専決で、「暫定予算」として執行することになっており、その規模は一般会計三五億八九二三万二〇〇〇円であった。この暫定予算は地方自治法施行令にもとづいて編成したもので、内容は、①旧市町村の編成した四十一年度通年予算のうち、合併前日の十月十五日までに施行したものを除いた額と、②合併にともなう臨時的経費・生活保護費などを合わせたものである。各地区の支出はそれぞれの地区の収入から補うものとした。

 ただし、合併にともなう事業費・生活保護費など五五〇〇万円は、当面長野地区予算のなかに盛りこむことにした。

 このほか、都市開発、国民健康保険、簡易水道、有線放送など、九事業の特別会計予算は、合計一二億五五〇三万三〇〇〇円、水道、農業共済など七事業の企業会計予算は、合計九億一三六六万一〇〇〇円であった。

 四十一年十二月十日、夏目市長は四十二年度予算の編成につき、地区行政審議会代表会議で各地区への予算配分の基本方針を明らかにした。その大要は、建設事業にあてる一般財源を暫定予算同様に地区別に配分するなど、合併協議会の決定と建設計画にもとづいていた。しかし、具体的な編成にあたっては、旧市町村が新市に残したばく大な債務負担行為とそれに準ずる借金など、いわゆる「先食い予算」の始末をどうつけるのか、むずかしい問題であった。

 そこで、この予算編成にあたっては、①まず、市税、交付税、国・県支出金、使用料、手数料などの経常的な歳入と、②給食費、需要費、生活保護費、公債費などの経常的な歳出、③それに主として松代地震対策費をふくめた災害復旧事業費は、全市一本で算出し、収入を差しひきして建設事業にあてる一般財源を算出するとした。

 一般財源は、①A計画の学校建設、観光開発、住宅建設など全市的立場の事業にあてるものと、②B・C計画の市道、農道整備、用排水路整備、保育所、児童遊園整備などの地区的事業にあてるものに分けている。その割合は、A計画三六パーセント、B・C計画六四パーセントとし、後者の財源を建設の進行にしたがって表6のように地区別に配分し、それについての予算原案は各支所ごとにつくることにした。


表6 一般財源の地区的事業費配分割合

 ただし、旧市町村から新市が引きついだ「先食い予算」などによる借金と、その他債務負担行為の議決をしてないものを合わせると、およそ一〇億円になり、これを抱えた地区は、新年度配分財源の相当部分を借金返済に当てなければならないため、新建設事業がほとんどできなくなる。

 そこで市は、借金返済に必要な経費も経常費負担とし、一時立てかえて負担するなどの措置もしなければならなかった。これら「先食い予算」の処理の仕方が公平を欠けば、合併協議会の申し合わせに忠実だった地区から不満が出るのを防ぐためであり、市長は「予算編成には厳しい態度でのぞむ」とした。

 こうして、四十二年三月八日の定例市会では、新年度予算の編成方針として、教育、土木、社会福祉を中心とした重点施策を明らかにし、一般会計歳入(図3)と歳出予算案(図4)を提出した。

 このうち、おもな事業としては、①校舎・体育館の増改築、②道路・橋の新設改良、③観光資源の開発、④清掃し尿処理能力の充実、⑤上下水道建設の推進と簡易水道に助成、⑥国道・県道と鉄道網の整備、⑦一五九戸の住宅建設、⑧地震(松代)対策、⑨防火水槽、ポンプ車などの整備、⑩国民健康保険七割給付への努力、⑪かぎっ子対策、学童クラブに助成金、などがあげられている。


図3 42年度歳入予算


図4 昭和42年度歳出予算案 『広報ながの』より)

 新市の財政にからんで、市職員の人件費引きあげ問題も大きな課題の一つであった。新市の財政計画では総事業費にたいする人件費の割合は三四・四パーセントで、旧八市町村を平均したこれまで三年間の人件費は三三・七パーセントに比べ高くなっている。これは市町村合併の目的とは逆の現象で早急な解決が必要であった。

 新市は、合併直前十月十五日現在、八市町村二四九一人の職員全員をそのまま引きついだが、給与はもっとも高い旧長野市と他の市町村とでは最高六号俸までの格差があり、これを旧長野市なみにそろえる約束もしていた。このようななかで旧長野市以外では、合併前に全職員一律一号俸(平均二〇〇〇円)引きあげたところもあった。

 この問題処理のため、同年十月二十四日参与会では、新市の行政能率向上のねらいから、退職金の割り増し金支給を内容とした市職員優遇退職実施要綱を決めた。その大要は、①五八歳以上の職員を対象とし、②勤続年数により二号俸~四号俸昇給のうえ退職金を二五パーセント~五〇パーセント割り増しとする、③退職の時期は同年十二月一日~同月三十一日までで、退職願いは十一月二十五日までに提出する。④強制はしないが善意の退職勧奨はありうる、というものであった。

 これにたいしては、翌日ただちに市職員組合は、事前に組合と話しあうとの労使慣行をやぶって、参与会で一方的に決めたことは納得できない、として市に白紙撤回を申しいれた。この問題はその後も幾度か市案の提示と組合側の交渉がはげしく繰りかえされたが、年をこえて四十二年八月二十四日に市労組と市当局との交渉がおこなわれ、大要つぎのように妥結した(『長野市職労二〇年史』)。

①現在旧長野市給料表の適用を受けていない職員は、昭和四十二年四月一日に旧長野市職員の給料表に格付する。格づけは同額または直近上位額とする。

②高卒、短大卒、新大卒、その他学卒の全職員を対象に、一万九五〇〇円~二万四五〇〇円まで引き上げを四十二年四月一日におこなう。

③是正は昭和四十二年四月一日に二号俸までを旧長野・川中島・更北・七二会・信更の職員に、同年十月一日までを篠ノ井・松代・若穂の職員におこない、四十三年一月一日に二号をこえる格差のあるものの全員にたいし一号までの是正をする。

④四十三年四月一日に三号をこえる格差のあるものについて一号までの是正をし、残る四号をこえる格差のうち二号までは四十三年度中におこなうものとする、など全一一項目におよぶものであった。

 しかし、合併直前に「先食い昇給」をした地区もあるうえ、また市職員の給与だけを引きあげることについては、一般市民から納得できないとの批判もでていた。