昭和二十二年(一九四七)学校教育法の制定に際し、各種学校は、「新学制による六・三・三・四制の中学校義務教育卒業者と高校卒業者が学ぶ学校教育に類する教育をおこなう施設の総称である」と位置づけられた。これは、義務教育や高校では広範な一般の経済社会生活に必要な技術は身につかないとして、それに応ずるためのものであった。そのため、各種学校の設置にあたっては、義務教育や高校とは別に、地方自治体の首長が認可した、和洋裁・看護・保育・美容・料理・工業・珠算・語学などと規定された。
二十五年三月私立学校法の施行により、長野県では私立学校・私立幼稚園・私立各種学校などを担当する学事室が総務部内に設置され、所轄事務が開始された。
さらに、高度成長期を過ぎた産業経済社会では、より広範かつ高度な各部門の技術者養成が望まれ、五十年七月には学校教育法の改正により、これまでの各種学校のほかにランクを上げた専修学校がおかれた。この専修学校は「職業や実際生活に必要な能力を養成する学校で、修業年限一年以上のもの」として、①中学卒業者を入学させるものは「高等専門学校」、②高校卒業者を入学させるものは「専門学校」、③学歴を問わないものは「狭義の専修学校」とそれぞれ規定された。各種学校と専修学校は、設置者と校長が同一人のものもあったが、校長は専門の者に依頼する場合が多かった。また、とくに時代の要請から自動車学校や進学関係の学校などもでき、多くの生徒が履修した。
昭和二十五年(一九五〇)度、現長野市域での各種学校は、県立の長野盲・長野ろう学校・村立の信級実業学院(兼任校長小林建樹)の三校と、私立の清泉女学院高等中学(校長アンヘラ・サントス)・長野文化学院(校長尾崎はつ)・長野高等家政(校長小林次雄)・長野簿記女(校長山口菊十郎)・長野高等簿記学校(校長黒木義雄)の五校の計八校があった。このうち、長野盲学校と長野ろう学校は、二十三年四月一日から政令により、小学部一年だけに義務制が適用され、以後は学年進行によって九年後に完全実施となった。
その他の各種学校は年々増加して、三十二年には三三校(表34)に達しピークとなった。各種学校の浮き沈みは大きく、設立からわずか数年で消えるものも多くみられる。そのようななかでも長くつづき、専修学校や私立高等学校、さらには短期大学に発展するものもみられた。平成十二年度長野市域の私立各種学校は表35のようである。
長野市医師会附属専門看護学院(私立各種学校)は、昭和二十七年四月二十一日長野市医師会附属准看護学院が開校され、昭和五十年四月一日准看護婦養成所の進学課程として、県医師会附属長野高等看護学校(二年課程、昼間定時制)として厚生大臣の指定を受け設立された。しかし、六十年四月一日設置者を再び長野市医師会に変更し、長野市医師会附属長野高等看護学院に校名を変更した。そして、六十三年四月准看護婦から看護婦への一貫した教育をおこない、長野市医師会附属看護専門学院(准看護学科・看護学科)に校名を変更した。平成十四年三月末卒業生総数は八七八人におよんでいる。
昭和五十年以降、専修学校の制度ができると、これまでの各種学校から専修学校への昇格を目ざすものがでてきた。東長野病院附属看護学校(国立専修校)の前身は、昭和十四年(一九三九)傷痍軍人長野療養所附属看護婦養成所として開校した。戦後は昭和二十年十二月国立長野療養所となり、二十七年四月から看護婦法の改正にともない准看護婦養成所となった。四十六年四月国立療養所東長野病院となるにともない、五十四年四月から同病院附属看護学校(修業年限三年、学生定員五〇人、総定員一五〇人の専修学校)として開校した。しかし、平成十二年(二〇〇〇)学生募集を停止し、同十四年三月末で閉校となる。
長野県公衆衛生専門学校(県立専修学校)の前身は、昭和二十七年十月長野市妻科に設立の長野県保健婦専門学院である。三十八年四月養護教諭一級養成施設(修学一年)として許可され、四十年四月長野県公衆衛生専門学院と改称し、歯科衛生士学科を新設した。五十五年これまでの各種学校から、学校教育法に基づく公立専修学校(専門課程)の設置が認可され、長野県公衆衛生専門学校となった。六十三年四月歯科衛生士学科の修学期間を二年とし、平成二年四月養護教諭一級養成施設が一種養成施設に変更された。
文化女子大学長野専門学校(私立専修学校)の前身は、昭和四十三年四月発足の長野保育専門学校(各種学校)である。昭和五十二年十一月十一日校名はそのまま長野保育専門学校で専修学校として認可され、翌五十三年四月から発足した。校長も尾崎百合が引きつづき就任した。五十九年三月五日には校名を文化長野学園に改称し、初代校長には大沼毅が就任した。六十年十二月二十日「文化女子大学長野専門学校」と改称。翌六十一年四月から文化女子大学の系列校となり、保育科に加え国際文化教養科を開設した。
このほか、長野市内の私立専修学校の設立状況は表36のようであるが、平成十三年には長野医療技術専門学校が加わっている。